愛媛県松山市北条の沖合に、鹿島という周囲1.5km程の小さな島がある。名前の通り、野生のキュウシュウジカが生息する。この島には、神功皇后が三韓征伐の際に立ち寄り鯛飯を食べたとか、竜や大ナマズの言い伝えもある。北条出身の早坂暁と交友のあった渥美清も、この島を「第二の故郷」と呼び度々訪れた。渡船場のすぐ前に『お遍路が一列に行く虹の中 風天』という彼の句碑が立つ。
さて、鹿の島というと広島県の宮島(厳島)が思い浮かぶ。鹿島の鹿の約10倍の500頭がいるという(観光客の餌やりやなんかで、何かと問題になっているが…)。一方、有名な奈良〈春日大社〉や、茨城県〈鹿島神宮〉の鹿は、神の使い神鹿(しんろく)として飼われている。
『古事記』の大国主命への国譲りの段では天照大御神の伝令として、鹿の姿の天迦久神(アメノカクノカミ)が登場する。同シーンで交渉役となる建御雷之男神も、〈春日大社〉に招かれた際、白い鹿に乗って来た(中国でも太上老君等の仙人が、白い鹿に乗る)。『もののけ姫』のシシ神も思い出される。やはり、その佇まいや立派な角が神を思わせるのだろうか。因みに、アイヌには何故か鹿のカムイはいない。『記紀』には鹿の角を用いた占い〈鹿卜〉が載る。角は、魔除けや延命長寿のお守りにもされてきた。また、鹿の体内に埋まっているという鹿玉を集めると金持ちになれるとか、鹿の胎児の黒焼が産後の回復に効く等とも言われる。
シャカの前世の物語『ジャータカ』には、9色(もしくは金色)の毛の九色鹿(くしきろく)が登場する。この鹿に溺れていたところを助けられた男は、決して人に話してはならないという約束を金に目がくらみ破ってしまう。しかし、彼の話を聴き九色鹿を捕らえに行った国王は、国中の鹿の殺生を禁じ、国は富むこととなったというお話。播磨の宍栗安志に現れた伊佐々王は、七又の角を持つ巨大な鹿。背には笹が生え、目は太陽のように輝き、数千の鹿を従えて、人を襲って喰ったという! 光仁天皇により退治された。屋久島の海鹿も人喰い。これの出るという旧暦の5月6日は、海にも山にも島民は出ない。奈良吉野村大又の大鹿は、撃った猟師の忠蔵のもとに化けて出て、彼を殺した。
悪魔にも、燃える蛇の尾と翼を持った牡鹿姿のフルフルがいる。召喚すれば、秘密や神聖な物事に関する質問に対して真実を答える。
『ギリシャ神話』の月の女神アルテミスのシンボルも、黄金の角を持ち、矢より速く駆けるケリュネイアの鹿。また、彼女の水浴を見たアクタイオーンは鹿の姿にされた。インドでは、仙人の尿を舐めた鹿が彼の子を産み、成長して一角仙人を名乗るが、その力を恐れたインドラが、天女エセアランブサーに誘惑させて神通力を失わさせた。そういえば、サンタを引くトナカイもシカ科か。
しかし、これ程人間に深く関わる鹿が、十二支に入っていないのは、不可解だ。牛や馬、羊・鶏と違い人との関わりが薄い、鼠や蛇のように身近にいない…等が理由という。が、兎や猿と大差ない気もする。考えられるとすれば、やはり神に近い動物とされていたからか…。
さて、描いたのは東北地方の〈鹿踊り(ししおどり)〉。伊達政宗の長男秀宗が初代藩主となった愛媛県宇和島にも〈八ツ鹿踊り〉がある。踊りの起源は、鎮魂の為の〈念仏踊り〉とも、鹿の供養の為とも言われる。盆・彼岸・雨乞い等で踊られ、『古事記』や『万葉集』に載る程歴史は古い。「しし」は元々「肉」の意。鹿は「か」と言った(「猪」は「ゐ」)事から。これと似た踊りは、メキシコ、アメリカ・アリゾナ州の〈ヤキ族〉、タイ・ミャンマーの〈シャン族〉、インド…等、世界中にある。
俳句の方は、僕が大好きな宮沢賢治の『鹿踊はじまり』から、着想を得た。この物語の中では北上に住む嘉十が落とした手拭いに興味津々の鹿たちが、その周りを回りながら歌を唄う。彼らの会話や歌詞が東北弁で、何とも可愛らしいのだ!『野原のまん中の めっけもの すっんすっこの 栃だんご…』『ぎんがぎがの すすぎの底でそっこりと 咲ぐうめばぢの 愛どしおえどし。』
すっこんすっこススキ語りし鹿踊り風来松