109. 牛鬼

主に西日本の海岸等に現れて、浜辺を歩く人を襲う。牛の頭に蜘蛛の身体。もしくは鬼の頭に牛の身体。首だけのものや、虫の羽といったものまで、いろいろな姿が伝わる。性格は非常に残忍で獰猛、毒も吐く。沿岸や、淵といった水辺に現れることから、流れ着く椿が老いたものが正体とも言われる。
 
最古の記述は、鎌倉時代の『吾妻鏡』。1251年、浅草浅草寺に不意に牛のような妖怪が走り込み、食堂に集まっていた僧五十名のうち二十四名が悪気を受け病に。七名は即死というから尋常ではない…! その際、妖怪が落としていった牛玉が今も残る。

『太平記』にも、隅田川で源頼光と戦った30mの牛鬼が描かれている。

『枕草子』の「名おそろしきもの」に挙げられる窮鬼(いきすだま)も、牛鬼と考えられる。

日本各地に牛鬼の伝承も多く残る。岡山県牛窓では、仲哀天皇により島々にされ、三重県では愛洲氏に祟ったという。和歌山県では珍しく恩返しをして死んだという話が。ここでは、牛鬼は人を助けるとこの世を去るとされる。山陰にも話が多く、ここでは濡女磯女と共に現れる。島根県温泉津では、夜に漁船を襲った。

ただ、やはり牛鬼の本場は四国だろう。各県に〈牛鬼淵〉等の地名が残る。徳島県白木山では、猟師・平四郎が吉田家の三社の銘を刻んだ鉄砲で退治した。高知県佐山では、長者の高瀬太郎兵衛が毒殺したが、長者も一族もろともその直後に起こった山崩れで押し潰されてしまった…。香川県の五十二番札所・根香寺には塩田教清の倒した牛鬼の絵と、角がある。 

そして、大トリはやはり、絵にも描いた愛媛県宇和島。牛鬼は方々に出現し村々を襲った。姿は祭の山車でお馴染みの、龍の頭に鯨の体。喜多郡河辺村の山伏が依頼され退治に乗り出す。法螺貝を吹き真言を唱え、最後は修羅の剣牛鬼の眉間に突き立てて、身体を幾重にも切り刻んだ。その血は七日七晩流れ続け、各県に淵を作ったという。

〈牛鬼祭り〉の方の山車の方は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、伊予の大洲太郎が虎を追い払う為に作ったのが由来という。これが練り歩く〈和霊大祭〉は、初代藩主・伊達秀宗の五十七騎の一・山家清兵衛がお家騒動で凶刃に斃れ、その怨念を鎮めるために始まった。土地の子らは毎年祭の夜にこの話を聴き、大祭の日だけは蚊帳を吊らない。同県、久万町や今治菊間にも同様の風習がある。その理由は、山家清兵衛が蚊帳の中にいた際、襲われたからとも、その【怨念】からこの夜は蚊が出ないからとも言う…。

伊達公もあいや牛鬼まぼいっちゃ風来松