270. 扶桑木

愛媛県の松山市三津で、海洋関係の博物館オーシャン堂を開かれている、ふじつぼみさんの公演で、初めて扶桑木の存在を知る。伊予市森の海岸の植物の化石で、約100万年前のメタセコイヤのものらしい。かつては、富士山さえ凌駕する御神木で、倒れた時にはおよそ100キロ先の大分県に届いたという!

伊予市の施設図書館ビブリオAAで更に調べを進めた所、伊予三筆として知られる明月上人の記した『扶桑樹伝』にたどり着いた。これによれば、『山海経』を記した伯益が初めて記述。ただ、この時点で既に倒れていたとある。景行天皇も熊襲征伐のおり、熱田津にて扶桑木の存在を知り、扶木之長橋と呼ばれるこれを渡って、筑紫に至ったという...。上陸時には、麒麟が出現! 扶桑木の高さは20里、幹周りは数千人が手を繋ぐ程...。 漢字の「東」の字は、この扶桑「木」に「日」がかかる事から作られたと言う説もある。かつて、中国の夏の使者も調査に訪れたとの話も。

およそ、二千年前に農作物の邪魔になるとして切り倒そうとした所、切った箇所が自然に塞がり、火を用いても駄目だったが、落雷により倒れた。時の帝がこの話を聞き、「ここを扶桑国と呼ぶべし」と言ったという。別の資料によれば、扶桑木はその後石炭のような埋れ木となり、明治・大正の頃までは、現地の人々が掘り出して細工物を作り土産物としていたらしい! 明月上人も現地を訪れ採取している。

さて、元となった『山海経』の方には、木の頂きに鳥類の代表玉鶏の巣があるとか、9年に一度食べれば空を飛べる黄金の実が成るとか、木のある山に奢比屍なる人面獣身が棲むとか、一気に神仙めく...。木のある扶桑国も、東の果て、東方の海中黒歯国の北、日本の南4千里など、様々に言われている。

扶桑国は、後に我が国の佳称となり、三菱ふそう、扶桑社等もこれから名前を取っている。

世界にも巨樹伝説は多い。有名なのは、『北欧神話』の世界樹ユグドラシル。他にも『シュメール神話』のキスカヌ、『ペルシャ神話』のガオケレナ、ヒンズー教のアシュヴァッタ...。日本にも、「阿蘇を隠すほど」と『日本書紀』にある筑後三池の巨樹や、『今昔物語集』に載る近江栗田の五百尋の高さの柞などがある。

さて、伊予市森に残る扶桑木の化石は、素人目には石にしか見えないらしい...。近いうち、ふじつぼみさんに同行して頂き、取りに行くつもりだったのだが、ぐずぐずしているうちに採取が禁止されてしまった...!

埋れ木の遥かなる午睡伊予の森風来松