古今東西、妖に魅入られた人達は、どこか妖怪めいている。狂気的で、好奇心旺盛で、ユーモラスで、ロマンチックで、懐が深い。今回は敬意を込めて、愛すべき先人達の中の何人かの紹介に付き合っていただきたい。
まず、先陣を切るのは、多くの妖怪画を後世に残してくれた、画家・鳥山石燕(1712〜1788)。狩野派の門人で、弟子に喜多川歌麿等。64歳で『画図百鬼夜行』を描いたのを皮切りに、『今昔画図続百鬼』、『今昔百鬼拾遺』、『百器徒然袋』と次々に世に送り出した。水木サンの妖怪画の発想も石燕のものに大きく占められている。彼は俳人でもあり、参加した句会の句集に絵をよせている。そういう意味では、まさに筆者は石燕を模倣している。辞世の句は『隈刷毛の消えぎはを見よ秋の月』。
続いても、浮世絵師。画狂老人卍こと、葛飾北斎(1760〜1849)。彼もまた多くの妖怪画を描いた。『富嶽三十六景』の後、『百物語』として『お岩さん』『皿屋敷』等を描くが、確認されているのは5図のみ。辞世の句は『悲と魂てゆくきさんじや夏の原』。
お次は、落語界中興の祖と言われる三遊亭円朝(1839〜1900)。『真景累ヶ淵』で、鳴り物・大道具を用いた芸を確立。『牡丹燈籠』等の怪談噺を創作。海外文学を翻訳した『死神』でも知られる。幽霊画のコレクターでもあった。
4人目は、作家であり、英文学者、小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーン(1850〜1904)。ファーストネームは、アイルランドの守護聖人から付けられたパトリックだが、キリスト教に懐疑的だった為、使用しなかった。アイルランド系だが、ギリシャで生まれ、世界を転々とした。1890年来日し、小泉セツと結婚。松江→熊本→神戸→東京と各地を渡り歩いた。〈熊本・五校〉でも、〈帝大〉でも後釜は夏目漱石だった。1904年死の間際に記した『怪談』には、『耳なし芳一』やろくろ首、むじな、雪女等が登場する。2025年には、妻のセツが主人公の朝ドラ『ばけばけ』が始まる!
妖怪博士・井上円了(1858〜1919)は、仏教哲学者で、〈東洋大学〉の創始者。批判的な妖怪研究を行った。例えばこっくりさんの仕組みを科学的に説明したり...。『妖怪学』等の著書で考察を深め、妖怪という言葉を、全国に広めた。
六人目は夏目漱石を師と仰ぐ、物理学者にして俳人・寺田寅彦(1878〜1935)。〈熊本五高〉時代に生徒として漱石と出会う。『化け物の進化』『怪異考』において、火の玉や、地元高知3不思議の孕のジャン、『堤馬風』等について、物理学者としての見解を述べた。彼はこうも書いている。『化け物がいないと思うのは、かえって本当の迷信である。宇宙は永遠に怪異に満ちている。あらゆる科学の書物は、百鬼夜行経巻である。それを繙いてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。』
ライアル・ワトソン(1939〜2008)。南アフリカ生まれのイギリス人。植物学、動物学、人類学等を修める。超自然現象を含む科学の水際をフィールドワークとした。『スーパーネイチュア』は世界的ベストセラーとなり、筆者も『アースワークス』、『未知の贈り物』、遺作となった『エレファントム』まで、非常に興味深く読ませてもらった。
8人目は現代のヒットメイカー、小説家・京極夏彦(1963〜)。妖怪研究家でもあり、〈世界妖怪会議〉評議員(肝煎)。1994年『姑獲鳥の夏』でデヴュー。百鬼夜行シリーズ(どれも千ページ前後のレンガ本!)は今も書き続けられている。〈泉鏡花賞〉・〈直木賞〉・〈吉川英治文学賞〉...と、受賞作も多い。宮部みゆき・荒俣宏そして水木サンとも親交が深かった...。
最後は、こちらも最近、柄にもなく受賞を耳にすることの多い、ノンフィクション作家・高野秀行(1966〜)。早稲田大学探検部時代に書いた『幻の幻獣ムベンベを追え』でデビュー。その後、『怪獣記』、『怪魚ウモッカ格闘記インドへの道』...と、UMA探索に熱を上げる。しかしその後、2013年『謎の国ソマリランド』で、同大探検部の後輩、探検家・角幡唯介と講談社ノンフィクション大賞をダブル受賞!(角幡は既に、開高健ノンフィクション賞をとって、その後『雪男は向こうからやってきたを』出している。)更に、2024年高野は『イラク水滸伝』で、探検家・山田高司と植村直己冒険賞までとってしまった...! 確かに、辺境ライターとしての腕や、語学力、文章の面白さはか認めるが、「オイオイUMAの事忘れちゃあいません?」と言いたい...。
この他にも、柳田國男や、泉鏡花、正岡子規に、アイヴァン・サンダースン...勿論、水木しげる...と、書ききれない程の先人がいるが今回はとりあえず、ここで筆を置く。
妖を見る人と人を見る妖と風来松