頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇等のキメラタイプの妖怪。「ヒューヒュー」と、気味の悪い声で鳴く。
この姿が記されているのが、『平家物語』である。毎夜丑の刻になると、東三条の森の方から黒雲が湧き御所を覆い、二条天皇を怯えさせた。そこで、かつて同様の怪異があった折、源義家が鳴弦で追い払ったことから、同じ源氏の源頼政が召された。彼が家来の猪早太と共に見事仕留めたところ、その姿が前述したもので、『鵺のように鳴いた』とある。頼政は名刀〈獅子王〉を下賜された。
さて、名刀も気になるが、今回は鳴き声の方。この書かれようだと、鵺とはこの妖怪の名では無かった事になる。実は頼政の鵺退治より二百年ほど前の『日本紀略』に、既に鵺の記述が載る。その後も、1212年『五葉』、1231年『吾妻鏡』…。いずれも、鵺の泣き声がして、お祓いやら、祀りやらを行っている。1416年、北野天満宮で宮司が射殺したものは、頭が猫、カラダは鶏、尾は蛇。平清盛が若い頃、内裏で捕らえたのは、『鵺の声して〜』とはあるが、もうしゅうともあり、ムササビかと思われる。
元々の出どころは、やはり中国。『山海經』にある怪鳥の鵼(こう)と、夜に鳴く不吉な鳥である鵺(ぬえ)が合わさったと考えられている。
実は、「鵺」の名は鳥として、『古事記』、『万葉集』、『徒然草』にもあり、やはり「夜に鳴く不吉な凶鳥」という扱い。その正体は〈トラツグミ〉だと言われる。別名も〈ヌイ〉・〈ヌエドリ〉。絵に描いた映画『悪霊島』のキャッチコピー「鵺のなく夜は恐ろしい」も、これの事だ。どうやら、平安の頃にこの声から、前述のキメラ的姿が考えられたようだ…。
さて、頼政が討ち取った鵺に話を戻そう。その死体は鴨川に流され(能では〈うつぼ舟〉に押し込む)、流れ着いた芦屋や都島等に、鵺塚が作られた。清水寺に葬られたとも。また、その死霊が馬と化し〈木下〉の名で頼政に飼われたが、平宗盛に取り上げられ、源氏に復讐を果たしたという話もある。大分の別府にかつてあった〈怪物館〉には鵺のミイラがあったが、現在行方知れず。
最後に、ここ伊予に残る鵺伝説を。山間の久万高原町赤蔵ヶ池には、かつて源頼政の母が隠居していたという。彼女は息子に、この地で取れる矢竹を送るなどしていた。そしてなんと自身が鵺と化し、京まで飛んで行き頼政に手柄を立てさせたのだと伝わる。自ら送った矢竹で作られた矢で討たれて…。その日、池は真っ赤に染まったという。
鵺鳴けば下駄が鳴るなり悪霊島風来松