293. プレスター・ジョン

十字軍が盛んになった12〜14世紀のヨーロッパで、東方より、エルサレムをイスラム教徒から奪還する為にやってくると言われた、キリスト教徒の王。

1122年、インド司教ヨハネスを名乗る人物がローマを訪れ、教皇カリストゥス2世に、職権の承認をもとめた。これは、詐欺の類だったようなのだが、後世に成立するプレスター・ジョン伝説の起源とされる。

最初の記録は、12世紀、ドイツの司教フライジングのオットーの記した物。1145年に、シリアのガバラ司教ヨーグが、教皇エウゲニウス3世に伝えたとある。それによると、イスラム教徒と戦ったプレスター・ジョンは、メディアの首都エクバタナを占領するも、その後苦戦し、チグリス川まで来て引き返したという。彼は、あの東方の三博士の子孫だとも語ったという! これを聴き、教皇は〈第二次十字軍〉の遠征を決断したとも言われる。

1165年には、東ローマ皇帝マヌエル1世に宛てたプレスター・ジョンの書簡が届く。そこには、彼がバビロンからインドまで72の国を従えている事、また領土には、象・グリフィン鬼女巨人サテュロスなどが住み、貧弱・姦夫・泥棒・守銭奴はいないとあった。ローマ教皇アレクサンデル3世の侍医フィリップスが親書を持ち東方に向かうも、消息を絶つ。同様の書簡は、神聖ローマ皇帝・フランス国王・ポルトガル国王の元へも届き、吟遊詩人により、様々に脚色されて広められた。その中にはアマゾネスや、『旧約聖書』でに逆らう勢力とされたゴグとマゴグも登場する。

1181年の『アドモント修道院年史』では、プレスター・ジョンの国がアルメニアにあるとしている。1245年には、インノケンティウス4世が、プレスター・ジョンと思われるモンゴルのグユク・ハンに親書を送るが、彼はキリスト教徒でさえなかった...。その後も、チンギス・ハンに対抗する、タルタリー王ダヴィデがその人だと言われたり、ナイジェリアのオガネー王、コンゴの国王、エチオピア王ダヴィトとも(1400年の地図には、エチオピアを『プレスタージョンの国』と書いている!)。大航海時代には、エンリケ航海王子はじめ、マルコ・ポーロも、バーソロミュー・ディアスも、バスコ・ダ・ガマもプレスター・ジョンを探した。

結局、何処にもプレスター・ジョンなんていなかった。どの世にも誕生する救世主だったわけだ。ジャンヌ・ダルク、天草四郎、ケンシロウ、ナウシカ、イエス・キリスト...達と同じように。

解夏となる人の口より神生まる風来松