290. 金星

清少納言の『枕草子』二百四十五段では、『星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ...』と、ある。この「ゆふづつ」が、〈夕星=金星〉である。弘法大師空海は、土佐室戸岬の御厨人窟で修行中、これが口に飛び込み、と一体になったと言う。中国でも、句に詠んだ「太白(ふとろほし)」と呼び、釈迦はこれを見て真理を見つけ、明星天子とも呼ばれる。また、あの李白の字も「太白(たいはく)」。生まれた時に、この星が懐に飛び込む夢を母親が見た事から名付けられた。『西遊記』にも、金星を司る仙人である太白金星が登場する。

『日本書紀』に載る天津甕星(あまつみかぼし)もしくは天香香背男(あまのかがせお)は、金星の象徴とも言われる。天孫降臨の段で、地上の不順わぬ鬼神がことごとく制圧された際、唯一服従しなかった。このが、金星の象徴だったという説がある。また、素戔嗚や、虚空菩薩も、金星と関連付けられる。後者を本尊とする仙台の〈大満寺〉は、金星が落ちて出来たと言われる〈太白区〉にある。また、全国にある〈星神社〉や、〈星宮神社〉には、虚空菩薩が天から降りてきた時に乗ってたという、鰻が祀られる。

海外でも金星は、『ローマ神話』のヴィーナス、『ギリシャ神話』のアフロディーテ、『メソポタミア神話』のイシュタル等、美しい女神と結びつけられる。『黙示録』では、イエスが「輝く明けの明星」と呼ばれる。マリアも明けの明星の象徴とされる。一方、あのルシファーも、ラテン語で「光をもたらす星=金星」の意。『アステカ神話』でも、テスカトリポカに敗れて死んだケツァルコアトルが金星となったとする。『マヤ神話』でも、金星を戦いの守護星とした。

ジョージ・アダムスキーが出会ったという金星人は、上記の神話のイメージからだろう、美男美女のヒューマノイドタイプだった。

明けの明星・宵の明星の金星は、太陽・月に次ぐ明るさの星とも言える事から、古今東西で神格化されてきたのは頷ける。地球と大きさ・密度・重量がほぼ同じ事から、〈姉妹星〉とも言われる。惑星記号は♀。手鏡を現し、転じて「女」のマークとなった。

1639年、人類史上初の金星の太陽面通過の観測が、イギリスのエレミア・ホロックスによって行われた。1716年には、同国のエドモンド・ハーレーが、国際的共同観測プロジェクトを提案。彼の生きているうちには、間に合わなかったが、各国の科学アカデミーや学会が、世界中に探検隊を派遣、1761年に実現した。しかし、時は〈七年戦争〉の真っ只中で、観測は困難を極めた。

その〈七年戦争〉時、イギリス海軍に測量と海図作成の高い技術で頭角を現しつつある、労働階級出身地のたたき上げの水夫がいた。それが、キャプテン・クックことジェームス・クックである(前にも書いたが、筆者は彼と同じ誕生日と言うこともあり、特別な親しみをもっている)! クックはその後、カナダに派遣され、正確な海図を作成、更にニューファンドランドでの日食の観測にも成功。そして、1769年エンデバー号の船長となったクックは、タヒチで金星の太陽面通過の観測を行った。その後、ニュージーランド・オーストラリア等を経て、帰国。柑橘とザワークラウトを取ることで、壊血病を防げる事も証明した。

1874年の金星の太陽面通過の際は、日本にも世界各国の調査団が参加して観測が行われた。この時長崎に来たアメリカ隊に協力して撮影を行ったのが、上野彦馬(坂本龍馬や高杉晋作らの写真でお馴染み)である。この場所は、元は太平山だったが、この時より星鳥山と改名された。

今世紀に入ってからは、2004年と2012年に観測された。次は、2117年! その頃には、人類は金星に到達できているかな...?

かって、カール・セーガンは、藍藻類を金星に投下する〈テラフォーミング〉 を提案した。しかし、金星の実体が明らかになるにつれ、生命を育む事は不可能とされた。平均気温420℃、濃硫酸の雲、自転を超える高速風〈スーパーローテーション〉...! 古くは旧ソ連の〈ベネラ〉に始まり、アメリカ〈NASA〉の〈マリナー〉、ヨーロッパ〈ESA〉の〈ビーナス・エクスプレス〉、そして日本の〈あかつき〉により、探索が進められてきた。しかし、2020年、地表から50km上空に、非生物的に生み出す事が知られていない、〈ボスフィン=リン化水素〉が検知され、俄に生命の存在の可能性も出てきている...!

夏芝居待つ歳星としのほし太星ふとろほし風来松