先日、行きつけの居酒屋〈ホヤケン〉で、初めてツタンカーメン豆を頂いた! 色は紫で、少し固く、なるほど、どこかしらエジプトの風を感じた…。
ツタンカーメン。古代エジプト第18王朝のファラオ。トゥト・アンク・アメン=「アメン神の生ける似姿」の意。若くして王となり短命ではあったが、混乱した国を立て直し、幾つかの戦でも勝利した。死因は、暗殺、マラリアによる病死、事故死、カバに殺された…等、様々な説がある。
その名は生前よりも死後、有名になる。1922年。イギリスのカーナボン卿ジョージ・ハーバートと、考古学者ハワード・カーターが、彼の墓を発見。エジプト・ルクソール近郊〈王家の谷〉で、フセイン少年のロバが躓いて水を零した事で、地下への階段が露わになったという…。その場所は、ラムセス6世の墓の建築の為の作業小屋跡の下という見つけにくい場所だった為、奇跡的にほとんど盗掘に合っていなかった…!
そこには、あの有名な黄金のマスクをつけた王のミイラ、黄金のチャリオット6台、象牙の彫像、弓・矢・盾、隕石より作られたとされる鉄剣、130本の杖、〈セネト〉と言われるゲーム、160枚のリネンのパンツ…と、目もくらむお宝が…! 絵に描いたのは、その中の一つ、様々な宝石に飾られた胸当て。翼のある〈スカラベ〉。魂や復活の象徴とされた、フンコロガシである。これを形どった黄色い石は、最も希少な鉱物の一つ〈リビアンデザートグラス〉。ちなみに、通常、死者の心臓の代わりにスカラベを入れるのだが、ツタンカーメンのミイラには心臓もスカラベも無かった…。特例として、オリシス神になぞらえた為と考えられている。
しかし、カーナヴォン卿もカーターも発掘の直後、相次いで急死…発掘の関係者にも次々と災いが起こり、ツタンカーメンの呪いと騒ぎになった。あの、〈タイタニック号〉にも、ツタンカーメンの棺が乗せられていたという話も…。
現在では、カーナヴォン卿の死因は、髭を剃っていた際、蚊に刺された跡を傷つけた事により、菌血症を発症、肺炎も併発した為とされている。
そもそも、ミイラの呪い話は、これより100年程前からあり、あの『若草物語』のオルコットも若き日に『ロストインピラミッド-あるいはミイラの呪い』というB級映画のような作品を書いている…。
さらに、ハワード・カーターにいたっては、亡くなったのは実はカーナヴォン卿の死後15年も後の話。まぁ、最近では盗掘まがいの、かなり際どい事をしていた事も判明しちゃったのだが…。
それでも、いい話もある。カーターは少年王のミイラを発見した時の事をこう記している。『最も感動的だったのは、少年王の顔のあたりに小さな花が置かれていた事だ。墓は至る所、黄金に包まれていたが、どの輝きよりそのささやかな花ほど美しいものは無かった…』薄っすら色をとどめていたその花は、外気に触れたとたん崩れ去って消えたという…。その15年後、亡くなった彼の墓にもそっと花が置かれた。置いたのは、あのカーナヴォン卿の娘イヴリン。カーターとの間にロマンスがあったとも言われる…。
最後に、発掘されたものの中にあったのが、前述の〈ツタンカーメン豆〉。カーターが栽培に成功し、1956年日本の水戸へ。その後、全国に広がったという…。そんな昔の豆が発芽するはずは無いともいわれるが、まぁ、ここは一つカーターに騙されたと思って、古代エジプトのロマンに身を委ねるのも一興かと。
3000尺寝ツタンカーメン豆目覚む風来松