寛永ニ年/1749年。備後三好。浅野藩の家臣となる稲生正令(1734〜1803)通称・稲生武太夫が、まだ幼名の平太郎と呼ばれていた16歳の折に経験した怪異を綴った物語。
原本は、広島市の〈國前寺〉に納めたとされるが行方不明。同名の和書も〈旧浅野家図書〉にあったが戦争で焼失。稲生家が所蔵していた物が唯一の写本とされる。同僚が聞き書きした『柏本』は平田篤胤により秘蔵された後まとめられ、『平田本』と呼ばれる。その他、絵巻物や、漢訳等もある。
後に泉鏡花が『草迷宮』を、稲垣足穂や折口信夫も作品に。水木サンは『木槌の誘い』として漫画化。京極夏彦も現代語訳したり、石黒亜矢子と絵本『もののけdiary』を作ったりしている。最近では『朝霧の巫女』 という漫画に登場し若者の間でも話題となった。
さて物語だが、七月の三十日間、平太郎の屋敷に次々に妖怪が現れたり、怪異が起こり続ける。一目小僧・大男・青入道・巨大な顔の老婆・漬物を運ぶ妖怪に、頭から赤子を出す妖怪・目と足のある石…。行灯は燃え上がり、畳は水浸し、巨大な蜂の巣は泡を吹き、無数の蝶と、虚無僧が出現。終いには、ぼた餅を持った絶世の美女?! クライマックスでは、平太郎の大の苦手であるミミズが現れるが、なんとか耐える! そして最後に魔王・山本五郎左衛門が登場。その勇気を称え、木槌を授け、長い戦いは終わりをむかえるのだった…!
その後、藩主から諸国遍歴の武者修行を命じられた武太夫は、木槌を手に妖怪を鎮めて回ったという。伊予でも、八百八狸の親玉隠神刑部を久万山に封じた。
後に広島藩に仕えた稲生武太夫は、南区の〈稲生神社〉に祀られた。荒俣宏、京極夏彦、水木サンが奉納した幟もはためいている。また、木槌は〈國前寺〉に奉納され、年に一度1月7日の稲生祭の時にだけ公開される。
2019年三次市には〈湯本豪一記念日本妖怪博物館(三好もののけミュージ厶)〉が会館! コロナが鎮まるのを待って、やっと2年ほど前に訪れる事が出来た!
さて、一連の怪異のきっかけは、平太郎が隣家の相撲取り・三井権八と、比熊山に登り行った百物語が原因であった。
豪の者妖も皆あさぎりに風来松