『しん百句百妖漫録』最終回は、わが松山一の美女狸八股榎お袖大明神の登場である。【お袖さん】が祀られる祠は、松山城のお堀の南東の角にあり、大きな榎と赤い幟・赤い鳥居が目印だ。筆者も子供の頃から何だか気になっていた。
狸の回で書いたが、今から約1200年の昔、弘法大師・空海が狐を追い払ってしまったので、四国は狸王国となった。特に久万山の隠神刑部率いる八百八狸は、ここ伊予で守り神として崇められてきた。
さて、時は江戸時代。1602年松山城築城のおり、お堀に植えた榎が八俣に分かれて大きく育った。それからおよそ200年経った頃、この木に一匹の雌狸が棲み着いた。これがお袖さん。木の上から美男子を眺めたりしていたのだが、ある時腹痛の老婆を助けた事が噂となり、人々が詣でるようになる。とりわけ、花柳界の女達からの信仰が篤かったという。
時代は明治に移る。1872年(明治5年)、石鉄県(廃藩置県直後の愛媛県の名称)の参事・本山茂任が「文明開化の世の中に、何が狸ぞな」と言ったかどうかは分からんが、初代の榎を切り倒して暖炉の薪にしてしまうという事件が! お袖さんは郡中古寺へ移ってしまった…。少しして、お掘に2代目の榎が育ち無事帰ってきたのだが、1896年(明治29年)に正岡子規が『小幟や狸を祀る枯れ榎』の句を詠んでいるので、この2代目榎、あまり生育はよくなかったらしい…。
その子規も世を去り、10年ほど経った頃、再びお袖さんに災難が。1911年(明治44年)〈伊予鉄道〉の電線架設の邪魔になるという理由で、またしても榎が伐採され、祠も撤去されてしまったのだ…! 〈伊予鉄道〉は1888年、日本初の軽便鉄道として開通。前述の子規の句が詠まれた年に、〈松山中学校〉に赴任してきていた夏目漱石も『枯野原汽車に化けたる狸あり』と詠んでいる(後に『坊っちゃん』にも『マッチ箱のような汽車…』と書いた)。漱石が詠んだのは毘沙門狸だが、またしても住処を追われたお袖さんは、勝山の六角狸と合祀されてしまう(夫婦になったという説も)。
その後もお袖さん、〈伊予鉄道〉の拡張のせいで何度も引っ越しを重ねたが、1918年(大正7年)頃には古巣に帰ることが出来ていたらしい。元松山市長の安井雅一は、産科医時代にお袖さんの子を取り上げたという(謝礼金に葉っぱが混じっていた!)。また、1930年(昭和5年)頃に、郡中の〈栄養寺〉で夜遊びをするのが目撃されている。
それにしてもお袖さん、長生きである…少なく見積もっても、この時点で300歳はいっている。化け狸の寿命っていくつだ? 1933年(昭和8年)には、またしても(もはや)宿敵〈伊予鉄道〉の複線化により榎が切り倒されそうにる。が、年を経て妖力をつけたのか、この時は泣き寝入りはしなかった…! 作業員に怪我や病気が相次ぎ、なんと〈歩兵22連隊〉まで出動! しかし、軍隊とてものともせず、遂に切り倒しは中止され、根こそぎ石井村に移されることで決着した(結局、引っ越し先で枯れてしまうのだが…)。
その翌年、国鉄大井駅(現JR大西駅)で、女学生姿のお袖さんが目撃され、新たに移ったとされる小西村〈明堂菩薩〉には参拝者が殺到。ブームになりすぎて、取り締まりも行われる始末!
戦後、1952年(昭和27年)再び元の堀端に祠が作られ(お袖さんもう何度目の出戻り?)、1976年(昭和51年)には、松山市長・中村時雄(現知事・時広の父親)の顔面神経を治す。
2003年(平成15年)お袖さんと金平狸(賢く優しく美男という!)の子狸平が、札幌本陣狸の娘真理と結婚。それぞれの都市の商店街で姉妹縁組もなされ、商店街の入口に狸の銅像も設置された。この辺の狸の関係は複雑で本陣狸というのは、総大将隠神刑部と瑠璃姫の子供。これが埼玉の上総御前と結ばれて、なぜか札幌に。この2人が祀られている社に、松山の狸研究家・冨田狸通が木彫りの像を寄進している。 ここにきて漸く次の世代にバトンタッチか…。
と、思ったのも束の間! 2011年(平成23年)、お袖さんの御神像盗難事件勃発! お掘りの水を抜いて捜索したところ、狸の像は出てきたのだが、まさかの別狸?! これ、35年ほど前に持ち込まれた悪狸なのだが、手に負えず堀に投げ込まれたやつだった! 協議の結果何故かこの狸、元お袖さん像があった場所に祀られている…。盗難除に格子戸がはめられているのだが、どう見ても捕まってるようにしか見えない…。
これにて、約400年にわたって繰り広げられてきたお袖さんの物語も終幕…。ところがどっこい! 2024年(令和6年)、榎の大木が倒れ、その後伐採されてしまった…! どうなるの?お袖さん?!ただ、その榎の廃材は、〈コカリナ〉に生まれ変わったというニュースが! よもやその楽器お袖さんの変化?
いやはや、いつの世にも人騒がせな、愛すべきお袖さんである…。
描いたのは、大西駅で女学生に化けたお袖さん。モデルはマンガ『うちの師匠はしっぽがない』の主人公、落語家を目指す豆狸。
晩夏光駅のホームに化狸風来松