『白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを』。有名な『伊勢物語・芥川の段』の一場面。ある高貴な女を盗み出した男が、女を蔵の中に隠して一夜を明かしたが、女は鬼に一口で食べられてしまっていた。これを、鳥山石燕は『今昔百鬼拾遺』に『鬼一口』として描き、男は在原業平、女は二条の后・藤原高子と解説を付けている。本当は鬼に食われたのではなく、高子は見つかって連れ戻されたのだと言われるが、俗説にすぎないようだ。『日本霊異記』や『今昔物語集』にも、一夜の契りを結んだ者が鬼に食べられる話が載る。最古の鬼とされる『出雲風土記』の阿用の郷の鬼も、農夫を喰った。
さて、だいたいにおいて鬼も妖怪も人を喰う。昔話では、『三枚のお札』の山姥、『注文の多い料理店』の猫、『ヘンゼルとグレーテル』の魔女。神話においては、八岐の大蛇、メデューサの首で退治されたクラーケン、王座を奪われることを恐れて5人の子を喰ったサトゥルヌス(クロノス)は、ゴヤやルーベンスによって絵画に描かれた。酒呑童子や温羅、オウガにトロル、ペルシャの食屍鬼=グール、キメラタイプのマンティコアは、古ペルシャ語で「人喰い」の意。前に書いたカナダのウェンディゴは、取り憑いた者に人肉を食べたくさせる。河童や手長足長、虎・熊・狼・鰐・鮫…と、動物達も舌なめずりして人を狙っている。
良く映画で見るゾンビは、襲った人間を喰っているように見えるが、喰われた者がゾンビ化してるという事は、齧るくらいなのか? 昔から疑問…。
さて、ここからは、〈カニバリズム〉の話。嫌な方は、これ以降はお勧めしない。この言葉は16世紀のスペインの航海士達が西インド諸島の〈カリブ族〉を人食い人種だと信じていたことから。これは、とんだ言いがかりだったのだが、食人については、古今東西多く見られる。最古では、ケニア北部の遺跡から痕跡が。約一万年前の旧石器時代のヨーロッパでも。葬儀の習慣として、もしくは敵対する相手を食べるといった食人行為が、一般的に行われていたと考えられている。生贄で知られる古代アステカでは、食人が制度化され、捕虜をトウモロコシと煮込んで食していた! 北米インディアンのイロコイ族でも同様。日本の〈大森貝塚〉からも、細かく砕かれた人骨が発見されていて、南方熊楠も食人について言及している。
中国でも、古くは殷以前に行われていた記録が『韓非子』にある。それ以降も、元、漢まで絶え間なく行われた。『三国志演義』や『水滸伝』にも、食人の描写がある。悪名高き清の西太后も、恐らくは余興として行っていた。インドでは、〈シヴァ教〉の行者が神通力を得るために人を食べたという。荼吉尼天も同様。
日本に戻ると、日本の第二代天皇と言われる綏靖天皇は、朝夕七人を食べ、恐れられたと伝わる。『遠野物語拾遺』には、5月5日に薄餅、7月7日に筋太素麺を食べる由来として、死んだ愛妻の肉と筋を食べた男の話が。小泉八雲の『怪談』の食人鬼(じきにんき)は、上田秋成の『雨月物語』の『青頭巾』が元ネタ。栃木〈大中寺〉の僧が、愛執のあまり稚児の死肉を食べるという話。
フィクションでも、1980年イタリア映画『食人族』(子供の頃見たテレビCMはトラウマ級だった…)、1991年『羊たちの沈黙』、2018年『ヴェノム』。マンガでも『寄生獣』、『進撃の巨人』…と、いつの時代も、人は喰われる恐怖に憑かれているようだ。それは、他の生物を殺して生きているという罪悪感からだろうか…。
緊急事態下での話もある。絵画にも描かれた軍艦〈メデューサ号〉の遭難。北極探検のジョン・フランクリンの遭難、そして北海道羅臼の〈ヒカリゴケ事件〉…。近年に限らず、飢饉や、戦争下では、世界中であった話だろう。イースター島では、1600年代の〈モアイ〉作りの森林伐採の為、食料不足となり、部族間の抗争時に人食いが行われた。
宗教的でもなく、飢餓でもなく、薬としての食人もある。日本の江戸時代の〈御様御用(刀剣の試し斬り役)〉山田浅右衛門一族は、人の臓から作った〈人担丸〉を製造し、販売していた。中国でも、明代には女人の血から〈仙丹〉を作っており、その後も人体の各部が漢方に使用されている。西洋医学においても人体由来の医薬品はある。ただ、2018年〈イグノーベル賞〉 を獲った、〈ブライトン大学〉のジェームス・コールの研究によれば、人間の肉は栄養的に優れてはいないらしい。また、葬儀で食する習慣のあったパプアニューギニアの〈オロカイ族〉の間では、これが原因で脳の神経細胞が破壊される〈クール病〉が蔓延したという。
さて、いいかげん気持ち悪くなってきたのでそろそろ終わりにします。最後に…台湾の原住民はかつて〈生蕃〉と呼ばれ、なんとその肉が滋養に富むとされ、1905年に廃止されるまで輸出されたいた…! 人食ではないが、かって台湾の阿里山を訪れた際、原住民の〈ツォウ族〉が、戦前まで首狩の習慣があったと知る! そう思うと、目の前で名物のデザート〈愛玉(アイユー)〉を売っている屋台のオヤジの目つきがタダモノではない気がして、思わず目を逸らしてしまった…。
露知らず鬼の見ゆるを芥川風来松