四国に住んでいると、空海は身近な存在だ。子供の頃から「お大師さん」という呼び名を耳にし、かなりの頻度で祖母と第五十一番札所〈石手寺〉にも参っていた。
弘法大師空海。俗名佐伯眞魚。774年讃岐国多度津郡屏風浦で生まれたとされる。若き修行時代に、土佐室戸山界の御蔵人窟にて、明星が口に飛び込み悟りを開き、空海を名乗る。803年、遣唐使として唐に渡り、密教の恵果より、〈阿闍梨〉を灌頂。遍照金剛の名を与えられる、3年後帰国した際、五島福江島玉之浦にて、〈真言密教〉を開く。816年、投げた三鈷の落ちた高野山に狩場明神の導きでたどり着き、〈金剛峯寺〉を開設。実は、福岡遠賀百谷が第一候補だったが、妖狐が三鈷を隠したので諦めたという話もある。835年六十二歳で入定。かつて、高野山を訪れたが、今でも高僧・維那が毎日食事を運んでいるのを見た。聞けば、コーヒーやパスタの日もあるらしい!
〈四国八十八カ所霊場〉は、空海が四十二歳の厄年で開設とも言われるが、実際は室町時代とされる。空海にひどい仕打ちをした事で、次々に子を亡くした、伊予の豪族の右衛門三郎が祖と言われる。
他にも、茨木で宿を拒んだ者はちばひめなる蜂となり、鳥取や千葉では空海に恵まなかった芋が石に(なんだか、ちょっとやり過ぎでは…)。杖を付いて、泉を湧かせた猪苗代湖や、温泉を湧かせた修善寺や東道後のような話も多い。和歌山の〈橋杭岩〉は、天邪鬼と橋をかける競争をした跡だと言い、天邪鬼は鶏の鳴き声に騙されて負けたと伝わる。また、以前にも触れたが、狸軍団と共に、四国から狐を追い出したりもした。「四国に橋が架かるまで戻ってはならない」と言い渡したとされるが、もう橋は架けられてしまっているが? とにかく、そんな数々の、伝説を日本中に五千以上残している…。
伝説ではなく、実際に空海が日本に持ち帰った物は、高野豆腐・小豆・うどん・お灸等と言われる。なるほど、それで彼の生まれ故郷の香川は、うどんが名産で、金毘羅さんには〈灸まん〉が! ちなみに、いろは歌の作者も空海という説があるが、これはどうも眉唾…。
絵に描いたのは、筆者が参加している登山グループ〈輝山会〉で登った、石鎚山の西の遙拝所〈星ヶ森〉。空海が、〈星供養〉の修行を行ったと言われ、その間石鎚山との間を二十一往復したという。しかも空を飛んで!? 蔵王権現を会得し、空海が石楠木に刻んだ大日如来を本尊とし第六十番札所〈横峰寺〉が建てられた。因みに、鳥居の向こうに見える石鎚山の稜線は、空海の寝姿とされる。
鉄錆の鳥居の先に石鎚山眠る風来松