『千と千尋の神隠し』、『この世界の片隅に』の冒頭でも、子供の頃のすずと周作がバケモノらしい男に籠に入れられ、攫われそうになるシーンがあった。小説でも、泉鏡花『龍潭譚』、井上靖『しろばんば』、大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』、小野不由美『魔性の子』...と、数多く描かれてきた。勿論、柳田國男も『遠野物語』に幾つかの話を載せている。
古くは、『吾妻鏡』の中に、平維茂の子が神隠しに会い、四年後に狐塚から見つかった話が出てくる。
神隠しの話は昔からあり、これが起こると村人総出で「かやせ」「もどせ」と大声を出し、鉦や太鼓を鳴らしつつ、子の名を呼んだという。東京八王子ではこれを行う、呼ばわり山があった。
攫うものは、鬼、天狗、狐、山神、山姥、山人...等と言われる。平田篤胤の『抄訳仙境異聞』の天狗小僧・寅吉が有名。
神隠しの起こる場としては、山、森、坂、峠、四辻、行き止まり、橋、便所、蔵...と、この世との境界。時も、逢魔が刻、丑三つ時。また、これに会いやすいものとして、子供・妊婦・障害のあるもの...と、やはりどれをとっても正常な状態との境界で起こるらしい。発見された場合、記憶が曖昧だったり、無かったり、飛んでいたりする。沖縄の物隠しでは、これに会ったものは、一度家に櫛を取りにもどるので、そのときは櫛を隠す。前述の平維茂の子も発見後、狐に刀と櫛を授かったという。
妖怪も多く、遅くまで遊んでいる子を攫う隠し神は全国に出る。東北の油取りは子の体を絞り油を取る。岩手県では、明治初期にこれの噂が広まりパニックとなった。島根県の子取りぞも同様。遠野では、脚絆と手差しを身に着けており、これが現れるのは戦争の前触れだと、柳田國男が書き残している。
津軽叺(かます)おやじは、子を袋に入れて攫う鬼のような大男。叺背負い、袋かつぎとも。
栃木県鹿沼市の隠しん坊、兵庫県神戸市の隠れ婆は、団地の隅の突き当たりで待ち受ける。和歌山県の子取り婆は、子を薬の材料にするという。この辺りは山姥か。産んだばかりの子を亡くした雨女は担いだ袋に攫った子を入れる。これは、産怪ぽい。
場所としては、千葉県市川市の八幡の藪知らず、青森県の天狗岳、横浜市港北区の天狗山等が、神隠しの土地とされる。
さて、描いたのは、ご存知『ハーメルンの笛吹き男』。グリム兄弟が童話にしたが、モデルとなる事件が、1284年6月26日にドイツのハーメルンで起こっている。大量に発生した鼠を、笛で誘い出し川に沈めて退治した派手な服を着た男が、約束の報酬をもらえなかった為、今度は村の子供達130人を連れ去り、コッペン山の洞窟に入り二度と戻らなかったという話。足の不自由な子と、盲目(もしくは聾唖)の2人だけ助かったという。ほぼ童話と変わらないが、教会のステンドグラスの碑文や、公文書にも残されている。長年議論され、様々な説があるが、ペスト等の伝染病、ハンチントン舞踏病、少年十字軍、底なし沼、そして最も有力視されているのが、植民地への移住説。この時代、ドイツからポーランドへの移住が多くあり、実際ドイツ東部や、ポーランドにハーメルン、ハメルン、ハメラ...などの姓が集中している...。子供というのも、いわゆる「〜っ子」ということではないかと。
子供の頃、〈かくれんぼ〉が好きだった。隠れるのが得意で、見つかる事はあまりなかった。ただ、見つけられないまま、見つけるほうが諦めてしまい、いつまでも隠れている...という残念な子供だった...。神隠しは、かくれぼをしていた子供に起こるとも。もしあの頃それを知っていたら、きっと怖くて隠れていられなかったと思う...。
かくれんぼ鬼の帰らぬ芒原本河康子