119. 麒麟

中国の瑞獣の一。千年を生き、泰平の世に現れると言われる。雄を、雌をとも。鳳凰霊亀応龍と共に四獣とされる。毛獣360の頂点に立ち、諸獣を産んだという。黄色の麒麟の他に、青の聳孤(しょうこ)・赤の炎駒(えんく)・白の策冥(さくめい)・黒の角端(かくたん)がある。

姿は鹿に似て、顔は竜、牛の尾、馬の蹄。肉に覆われた1本角武備を持つ。毛の色は黄色。背毛は五色。鱗もある。鳴き声は音階に一致し、雄が鳴くのを遊聖、雌のそれを帰和という。凶を祓い吉を招くとされ、戦う時はその声が焔となる。ただ、性格は穏やかで優しく、虫や草を踏むことも厭い、雲に乗って円を描いて移動する。また、雌雄の交合によって生まれるのではないという。

『礼記』には、王が仁政を行うと現れるとあり、漢の武帝は白麟を得て改元した。孔子は魯の国で、聖人不在にも関わらず現れた麒麟が、それとは知らず人々に気味悪がられ、打ち捨てられるのを見て諦念し、歴史書『春秋』の筆を置いた。孔子自身も、母親が麒麟の足跡を踏み身籠った子と言われる。このように麒麟が聖王を世に遣わす事を麒麟送子という。この事から、「麒麟児」という言葉も作られたと思う。(そういえば、昔、力士でもいた。)

2005年の映画『妖怪大戦争』でも、主人公が祭で「麒麟送子」に選ばれる。この神木隆之介演じる主人公の姓が稲生! それもそのはず、この作品、水木サン・荒俣宏・京極夏彦・宮部みゆきの『怪』が制作に参加しているのだ!

因みに、この祭というのが実際、鳥取県・兵庫県で行われる〈麒麟獅子〉。因幡鳥取藩初代藩主・池田光仲が〈因幡東照宮〉建立の際に始めた。光仲は徳川家康の外曾孫。家康もやはり、麒麟をこよなく信仰し、〈日光東照宮〉には49の麒麟の装飾がある。そうなると、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』も思い出される。明智光秀が主人公だったが、織田信長も花押は麒麟だったので、あの時代、大人気だったのだろう。

では、実際の動物のキリンは関係あるのだろうか? アフリカからインドのベンガル朝にきた一頭が、明の永楽帝に麒麟として献上されたという記録がある。ただ、中国語では、「長頸鹿(チャンジンルー)」。ソマリア後では「首の長い草食動物という意味」の「ゲリ」。エチオピアのムルン語では「キリン」!(逆輸入なのか偶然か?)「キリン」と呼ぶのは日本と朝鮮だけなのだが、日本は明治時代の〈上野動物園〉園長・石川千代松がキリンを購入する際、あまりの高額の為(一億円!)、伝説の麒麟だと言って予算を騙し取ったという話がある。

創作では、『山海經』をかなり参考にして書かれた、小野不由美の『十二国記』に、王を選ぶ麒麟が登場する。

さて、長い話も最後になるが、絵に描いたのはお馴染み〈キリンビール〉のラベル。余談だが筆者は断然、〈キリン〉派である。好きなビールが〈アサヒスーパードライ〉とかのたまう輩は信用しない。逆に「やっぱり男は黙ってラガービール」という人物は無条件で信頼する。ただ、生ビールとなると、そう強気に出られない…。というのも、広島に住んでいた頃に行った立ち飲み屋の伝説のビール注ぎ・重富寛のアサヒは、アサヒと信じられない旨さなのだ…。それ以来、生ビールは注ぎ方次第と考えを改めた。

話を戻そう。そもそも、ビールが日本で飲まれた記録は、1724年オランダ語通詞・今村市兵衛のものが初出。1853年には、蘭学者・川本幸民が初醸造。試飲会には、桂小五郎・大村益次郎・幸本左内らも招かれた! 1870年、やっと〈キリンビール〉の前身〈スプリングバレーブリュワリー〉が作られ、1888年ついに麒麟がラベルに描かれた。ほかの海外のメーカーもラベルに動物を描いていた為。三菱の荘田平五郎が提案し、ビール会社の重役トマス・グラバーが原案をデザイン。実際に描いたのは、広島の漆陶芸家の六角紫水か、洋画・版画家の山本鼎と言われる。立髪あたりに「キリン」の文字が隠れている。

そうえいば、前述の大河ドラマをやっていた頃、〈キリンビール〉のCMに、光秀役の長谷川博己と、信長役の染谷将太が並んで出ていた! グラバーといえば、坂本龍馬もビールを飲んだろうか? ここ松山の飲み屋は〈アサヒスーパードライ〉主流だが、土佐は〈キリンラガー〉で、居酒屋ののポスターにも「たっすい(うすい)がはいかん!」と、あるぜよ!

龍淵に麒麟ビールの淵に潜む風来松