人々は、人智を超えて恩恵もしくは災厄をもたらすものを神、鬼、悪魔、妖怪...とした。
日本には古来より和霊・荒魂の考え方があり、前者は温和に福徳を保障し、後者は極めて祟りやすく畏敬の誠を表さないと、危害や不幸をもたらすとされた。
文字のできる前の「カミ」の語は、国語学者・阪倉篤胤によると、「クマ」であったという。(地名としての球磨や、久万もここからか)意味は、「入り組んで見えにくい場所」。ここから「カム」→「カミ」と変化したとする。
また、漢字の「神」の字は、祖先を祀る祭壇を表すしめすへんに、稲妻の伸びる形。これは、人知を超えた尊ぶ力を指す。
英語の「god」は、古代アーリア語の、「呼ぶ」「注ぐ」を意味する「ghau」からと言われる。
妖怪には、「神」と名のつくものが多い。山神、風神、辻神、犬神、猿神、付喪神、貧乏神、疱瘡神、死神...。また、「神」と付かなくとも、天狗、河童、狐、狸、橋姫、長壁姫、鵺、三吉鬼...と、神として祀られているものは数え切れない。
柳田國男は、妖怪は神の零落した姿だとし、小松和彦は両者は並び立つものだと考える。
また、ヤマタノオロチ、酒呑童子、大嶽丸、温羅のように、古い神や、反体制側のものが鬼や、妖怪に落とされた例も多々ある。仏敵や、反キリスト教等も。
八百万の神がいれば、その影に八百万の鬼がいよう。
著者の母方は神主の血筋なのだが、全く信仰心の欠片も持ち合わせていない。これまでに訪れた中で、神々しいと感じたのは、伊勢神宮、高野山、阿蘇、テオティワカン、キラウエア火山等であるが、結局それらは人間の信仰心の作り上げたものであったり、大自然の存在であったり...。そこに、神は産み出されのだろう。
ただ、かつて幼い頃、祖父の神社のあった瀬戸内の島を訪れた際、境内が無数の蝉の死骸で真っ黒だったのを強烈に覚えている。果たして、家族でその上を歩いたのだったか...。そこにはなんだか、神的な何かが、ひょっとしたらあったかもしれない。
描いたのはアステカの二神、ケツァルコアトルと、テスカトリポカ。前者は「羽毛のある蛇」の意で、最大級の翼竜の名でも知られる。古くは農耕神、風の神だったが、後に人に文明を授けた文化神とされた。平和の神ともされ、人身御供を止めさせた。この事で怒ったのがテスカトリポカ(こちらも最近直木賞を取った小説の題名に)。戦い、敵、夜、魔術、美の神で、ケツァルコアトルに呪いの酒プルケを飲ませ妹と交わらせて、追放してしまった。が、後にキリスト教宣教師たちに悪魔とされた。一説には1591年コルテスがメキシコに侵略してきた際、人々はケツァルコアトルが復活した姿だと間違え、滅亡につながったとも言われる...。そんな、二神の前で立ち尽くすのは、マンガ『ベンセルク』のタフな主人公ガッツ。
神渡し爪先立ちで立ち尽くすマ'