111. 境界

昼と夜、光と闇、中と外、生と死、現世と常世、人と人外、こちらとあちら...
それらを分かつ刻と場所がある。

場所は、水辺、汽水域、里海、里山、峠、坂、辻、橋、トンネル、蔵、便所、井戸...。

刻は、黄昏刻(「誰そ彼は?」が語源)、またの名を逢魔が刻大禍が刻...。

何年か前に、敬愛なる作家・石牟礼道子の生まれた水俣を訪れ、彼女の足跡を辿ろうと試みたことがある。手がかりは、石牟礼道子が幼い頃を思い出して描いた地図。もちろん、水俣でも長い永い刻が流れ、ほとんどのものは失われ、形を変えていて、探索は難航を極めた...。ただ、微かに目に見えるものの中、目には見えないものの中に、彼女が幼い頃に感じたであろう何かしらの気配や空気は感じられた...。

池澤夏樹は『たぶん石牟礼道子は初めから異界にいた。そこから"近代"によって異域に押し出された。』と言っているが、彼の言う異界境界だったのだと僕は思う。

おもか くり出す前世の糸も むかし絶えはて めくらの手つき おさんぎつねがするばかり 外ん崎まわれば この世になくて
あの世の間(あい)のつるべ井戸
春風吹けば とんとん からから
機織る真似の音のする
から から からから からからから
ここの河原も 春とかや
椿 おちよるときの夢
きつねも 生きよきるときのまね

石牟礼道子『椿の海の記』より

不知火や痕跡探す汽水域風来松