前項で、藤原師長が琵琶の名器〈獅子丸〉を弾いて、龍神を感応させ雨を降らせた事を書いた。
これに限らず、雨と龍は密接に結びついている。
元はやはり中国で、仏教における十二天の一水天だろう。水の神で、龍を支配する。さらに大元はインドの最高神ヴァナルで、これも龍神ナーガの王とされる。タイのプラピールンも同じものだろう。これが、日本に入ってきた際、神道の天之水分神(あめのみくまりのかみ)等と習合された。祈雨の対象であり、田の神、山の神とも。筆者のかみさんの郷の広島県安芸郡府中町にある〈水分神社〉は、これを祀る、格式の高い神社である。
闇龗神(くらおかみのかみ)も、雨雲を司る龍神で、平安京の北方守護〈貴船神社〉に祀られる。伊弉諾が迦具土を斬り殺した際、十拳剣を伝った血より産まれた。「闇龗」とは「空に低く垂れ込める雨雲」の意で、「龗」は龍の古語。
素戔嗚の天叢雲剣も、八岐の大蛇より生じた。
善女龍王は、八大龍王の一沙羯羅龍王(ナーガラ)の三女。824年空海と守敏の雨乞いの祈祷対決において、守敏が全国の龍を瓶に封じられたのだが、唯一逃れて天竺・無熱池より参じ雨を降らせた。九尺(270cm)の大蛇の頭に乗る八(24cm)の小さな金色の蛇の姿であったという。
愛知県一宮には、弘法大師・空海が茅草で作った龍が雨を降らせたと伝わり、〈真清田神社〉に祀られている。
大阪では行基が雨乞いを行った際、雨を降らせた龍の骸が、〈龍口寺〉に頭、〈龍間寺〉に胴、〈龍尾寺〉に尾が祀られる。(ここには実際1mの龍の尾のミイラがある!)これと似た話は、奈良にもあり、やはりちぎれた身体が〈竜頭寺〉〈竜腹寺〉〈竜尾寺〉に。他にも同県の、〈竜海寺〉〈竜心寺〉〈竜王寺〉に同様の逸話が。これらは、雨を降らせた為に、大竜や大梵天主の怒りに触れたとする。
世界中に雨神は多い。
マヤには天を支える四神の一、雨と風の神バブカが。フラカンは、ハリケーンの語源の暴風雨の神。
インドにはパルジャニヤ、ミャンマーにはウパゴーダがいる。
中国の雨女も、雨神的な存在だが、元は楚の宝王が愛した巫女にあてた『朝は雲となり暮には雨となり会おう』との詩から。(「朝雲暮雨」という故事成語にもなった)
妖怪では、前に書いた豆腐小僧。
雨ふり小僧は破れ傘を被り、両手に何かを持って近寄って来る。
京の雨の小坊主は童姿。巨大化したり三つ目になったりして人を驚かせ、見知らぬところに運んだりもする。
雨降り入道は入道雲と共に人家へ近づいてくる大男。
長野の雨おんば雨乳母は子を攫う産怪とも、神の零落した姿とも言われる。
和歌山県みなべ町の雨降らしは海から現れる女の姿で、行き倒れていたところを助けられた礼に、村人が呼ぶと岩に腰掛けて雨を降らせた。
絵に描いたのは狐の嫁入りで呼ばれる天気雨。イギリス・イタリアでも、同じ言い方! 韓国では、狐でなく虎。ブルガリアは熊。アラビアは鼠。アフリカではジャッカル! トルコは魔女で、ポーランドでは「魔女がバターを作っている」と言われる。
春の野の狐の嫁入り子らの追う風来松