月に棲む仙女。常羲とも。道教では太陰星君。元々は、姮娥だったが、前漢の文帝の諱と同じ音になる事を避け、変えられた。
『山海經』には、太陽神である帝俊(舜)の妻常羲は『月十二を生み、大荒の日、月山で浴する』とある。
神話にはこうある。かつて天帝の子らが十個の太陽に姿を変え、地上に害をなした。そこで、天上一の弓の名手后羿(ホゥイ)に命じ、子らを抑えるべく、妻の嫦娥と共に地上へ遣わした。后羿は説得に応じなかった子らを次々と射落とし、太陽は一つとなった。落ちてきたものを確かめると、三本足の烏火烏だったという。しかし、その事が天帝の逆鱗に触れ、二人は人間にされ天界に戻れなくなってしまった…! 嘆き悲しむ妻を見た后羿は、崑崙山の西王母に助けを求め、蟠桃より作られた薬を一包授かる。これを二人で飲めば天界に戻れずとも不老不死になり、また一人で飲めば天界に一人なら戻れるという。結果から言うと、嫦娥は一人で飲んでしまった。彼女の意思でそうしたという話と、蓬蒙という悪人に薬を奪われそうになり、致し方なく一人で飲んだという話とがある。前者では、その罰の為、蟾蜍(せんじょ)=蝦蟇蛙、または兎に姿を変えられた。蝦蟇と兎は共に月の模様に結びつけられている。また、後者では后羿への想いから、天界ではなく月にとどまったとする。
天罰を受けた者が、一時下界に降ろされ、その後再び天界に戻る『かぐや姫』型説話の祖と言われる。地上に残された后羿が、妻を想い供え物をしたのが、月見の始まりともいう。だが、彼の人生は弟子に殺されるという悲劇で幕を閉じる…。海南島では、中秋節の晩、少女らが水を張った器に針を浮かべ、嫦娥に吉凶を占ってもらうという風習があった。一方、月には玉兎もいて、嫦娥と、餅でなく仙薬を搗いているとされる。この兎は、嫦娥が昇天する時にたまたま抱いていたとも、嫦娥を憐れみ共に昇った兎一家の次女ともいう。前に書いた桂男もどこがで、月桂樹の木を伐り続けているし、以外と淋しくないかもしれない。
絵に描いたのは、嫦娥と玉兎が、月見ならぬ地球見をしながら、月餅を食べているところ。この中国のお月見の定番菓子は、古代から中秋節の供え物だった。また、朱元璋がこれに手紙を隠し元への反乱の合図としたり、清への反乱の際にも使われたという。日本では、1927年、〈中村屋〉が販売を始めた。チャンドラ・ボースのカレーパンの!何かと、革命に縁のある菓子らしい。
最後に…中国国家航天局(CNSA)は、2007年に始まった月探査計画を〈嫦娥計画〉と名付け、同名の探査機6号が2024年6月、月の裏側からのサンプルリターンに成功! 探査機〈玉兎〉も月面で活躍している。
十五夜の地球あおぎて月の餅風来松