6. 人魂

主に夜間、空宙を浮遊する火の玉。あまり高くない所を這うように飛ぶ。色は青白・橙・赤。尾を引く。古来、死人の体から離れた魂といわれる。大きくは怪火の一つだが、ここでは鬼火狐火とは区別して話を進める。

青森県下北郡小川原ではタマンコといい、死が近づいた者の魂が肉親・知人のもとへ現れるという。千葉県印旛郡川上村のタマセも同様で、寺や縁者のもとへ行き雨戸や庭で大きな音を立てる。沖縄県今帰仁村のタマガイは逆に子の産まれる前に現れる。大分県大野では、人が死ぬと鳴くという鵺をヒトダマと呼ぶ。

海外にも似たようなものが幾つもある。ウィル・オ・ウィスプは、夜の湖沼・墓場に現れる怪火で、昇天出来なかったり、洗礼を受けずに死んだ者の魂と言われる。「松明持ちのウィル」という意味で、このウィル一度地獄行きを言い逃れて生まれ変わったものの、二度目も悪行三昧だった為煉獄の中を彷徨う事となる。それを見た悪魔が憐れんで地獄の業火から石炭を一つ手渡したという設定!

19世紀のイギリスの民俗学者セイバイン・ベアリング・グルードは、怪火 が、腐敗して発生したリン化水素と推測した。ただ、生物の骨のリン酸は自然発光はしない。前述のウィル・オ・ウィスプも、球電やリン、メタンガスガス説等があげられている。寺田寅彦は、随筆『人魂一つの場合』に、息子二人が見た人魂や、伊豆地震のさいの光の目撃談から、物理的現象に錯覚が入り生じるのでは...と考えを述べている。1980年には大槻義彦が、プラズマ説を提唱。発光バクテリアをつけた蚊柱等とも言われる...。

さて、絵に描いたのは、『日本書紀』・『肥後国風土記』に載る、熊襲討伐の帰りの景行天皇を導いたと言われる、熊本県の有明海、八代の不知火。「誰が灯しているのかは知らない。」と、村人が答えたのが名前の由来と言われる。

八朔(8/1)の風の弱い新月の晩に現れる。海岸より数キロ先に、まず親火が。それが左右に分かれ数百、数千になる。引き潮が最大となる午前3時頃、一番良く見られるという。水面から10cmは離れていないと見えない。かつては龍神の火とも言われ、凶兆とされ、見える日の漁は禁じられていた。正体は、漁火が屈折して生じる蜃気楼の一種。1937年宮西通可教授が研究を行った。現在では、干潟は埋め立てられ、周囲の灯りが増え、海も汚れ、すっかり見えにくくなってしまっている...。特に記録は見当たらなかったが、かつて不知火を見て亡き人の魂だと思った人は必ずいたであろう...。

先に書いた寺田寅彦は、その著書をこう締めくくっている。「こわいものをたくさんもつ人は幸福と思うからである。こわいもののない世の中をさびしく思うからである。」と。

俳句は、妖怪画『百物語』を齢七十にして描いた葛飾北斎、辞世の句。

人魂で行く気散じや夏野原葛飾北斎