101. 疫鬼

という訳で、再開の初回は疫鬼疫病神厄病神疫神行病神とも。

古代中国で、顓頊(せんぎょく)帝の3人の子が、瘧鬼(マラリア)魍魎小児鬼になったという。また、【祝融】の子で洪水を起こす【水神・共工】の、冬至の日に亡くなった子も疫鬼となり、その日、人々は小豆粥を炊いて祓った。疫鬼の姿は、童子・婦人・鳥...等。

古代日本では、疫病は怨霊の仕業とされてきたが、上記の疫鬼の概念が平安時代に入ってきた。宮中では、祓いの儀式としての追儺や、鎮花祭、動餐祭も行われた。

6世紀日本に伝わった天然痘は疱瘡神と呼ばれた。コレラも虎狼狸(コロリ)なるキメラタイプの妖怪に。(コルクの粉やラムネが効くともされた)マラリヤは瘧(おこり)・わらわやみと言われ、平清盛も、光源氏もこれにかかったと考えられる。

古来より疫病退散の強力な存在としては、牛頭天王がいた。有名な京都の〈山鉾巡行〉も、牛頭天王南海龍王の娘波利采女を娶ったのが起源。また、その旅の帰りに手厚くもてなした蘇民将来に、疫病封じの札を授けた。しかし、『日本神話』で素盞嗚尊に習合されてしまった...。

他にも、今の東京足立区にあたる花又村鷲宿の〈一人立三匹獅子舞〉も、疫病を祓うとされた。大正時代には、〈江戸角兵衛〉の、銘のある角のみが使われた。福島県会津では、天然痘などが流行った際、〈赤べこ〉が効くとされた。江戸では、疫病除けとして、毎月三日に小豆粥を食べる風習があった。

これらに共通するのは、赤である。また、改めて書くこともあると思うが、赤は血・火・太陽につながり、生命の根源の色とされる事から、魔除けとなるのだろう。

赤いもの以外では、1673年の疫病の大流行の時には、全国で大きな竹に四手がつけられた。秋田では2月9日に目の大きなザルを下げた。これは、は見つめられるのを嫌うと言うことらしい。五芒星ダビデの星にも繋がる。岡山県津島では、うどんを食べて、疫病を祓ったというが、これはよく分からなかった...。津山といえば、ホルモンうどんで、これは古くからこの地では牛馬の流通が盛んで、養生食いが行われた事に由来するが、うどんでなく、ホルモンの話だし...?

1820年には江戸の仁賀保家で疫鬼が捕らえられ、二度と悪さをしないと書かせた証文が残る。古くは、同じように安倍晴明が書かせた護符もある。これらについては、また次項で詳しく書くこととする。

疫鬼舞ふ祭みな止む列島に朝広三猫子