1275年、元のクビライ・カーン(フビライ・ハン)に、ローマ教皇グレゴリウス十世からの書簡が手渡された。渡したのは、ヴェネチア共和国の商人、ニッコロとマッフェオのポーロ兄弟、そしてニッコロの子マルコ・ポーロだった。この時、マルコ17歳。これが、長い旅の始まりだった。
『東方見聞録』は、これを遡ること約20年。マルコの生まれる以前に、父と叔父が旅立つところから始まる。コンスタンティノープルを経た2人は、1264年モンゴル帝国の大都で、ラテン人として初めてクビライ・カーンに謁見。2年間、この地にとどまっている。兄弟は、クビライに教皇を連れてくるように言われ、帰国。しかし、帰ってみると、既に教皇クレメンス4世は亡くなっており、次の教皇はまだ決まっていなかった。そんな状況が続き、2年たったところで、とりあえず次期教皇になるでろう人物テオバルトの書簡を持ち、息子マルコも連れて出港。これが、1271年の事で、幸いにも出発後テオバルトは無事教皇に選出され、グレゴリウス10世となる。また、同年クビライも元朝を宣言した。
『東方見聞録』には、当時60歳のクビライ・カーンは、巨大なゲルに住んでいて、そこには、4人の皇后、300人の侍女、10000人の召使い、300羽のハヤブサ、無数の猟犬がいたとある。その後17年間、3人はクビライのもとで、スマトラや、セイロン等で、情報収集や交易を行った。クビライの娘コチカン姫の護衛に向かった際、クビライが79歳で死亡。それを機に故郷へと戻った。
帰国後、マルコはジェノヴァとの戦争に参加。投獄された際に、イタリア人の著述家ピサのルスティケッロに話した物語が、『東方見聞録』となった! 原題は『マルコポーロ旅行記』もしくは、『イルミリオーネ』、『世界の記述』…。実は、フランス語の祖本は既に散逸してしまっていて存在せず、残っているの多数の写本のみ。正確な原題も分かっておらず、『東方見聞録』と言っているのは、日本と韓国だけらしい。
気になる記述を幾つか紹介したい。元の人々は雷をひどく恐れ、クビライも雷の被害に遭った者の税を免除したという。クビライの敵として、伝説上のキリスト教国国王プレスター・ジョンについても書かれている。杭州では、30mの毛に覆われた魚がおり、これを食べた者はすべて死んだとある。〈さまよえる湖〉のロプ砂漠には、旅人を惑わす悪霊。エルギヌール国には、象大の毛長牛(ヤク?)。ガラジャン地方には、地中にいる3mの巨大ヘビ。バスマン王国の泥沼には小型の一角獣(サイ?)。更にこの国では、インドから連れてこられたという小人侏儒も見たが、これは猿の毛を抜いたものだと書かれている。ランブリ王国には、有尾人が。マーバール〜モグダシオ島の間には、9mのロック鳥が飛ぶ。マンガマン島の犬頭人は、人の肉を食う。エシエルの羊・馬・ラクダの肉は、すべて魚肉だとか、バウダックで隻眼のキリスト教徒の靴屋が、山を動かす奇跡を起こした…等、かなり妖しい話もある。前にも書いたアララト山の方舟の記述も!
そして、『東方見聞録』といえば、黄金の国ジパング! 中国大陸から1500海里(2500km)にある白い肌の人々が住む巨体な島で、黄金・宝石に富むとある。元寇・中尊寺金色堂・遣唐使や日宋貿易時の金の使用などが記されている一方、食人の習慣があるという記述も! 前にも書いたが、イスラムのワークワーク(倭国)伝説とも関連がありそう…。
さて、『東方見聞録』が世に出た当初、人々はとんだホラ話だと大笑いしたという。句にも詠んだ「イルミリオーネ=100万男」は、百万長者と、百万の嘘を付くと言う意味で、人々がマルコにつけたあだ名。確かに、マルコが日本に来たという形跡もなければ、元の記録にも、ポーロ達についての記録もない。しかし、『さまよえる湖』のスウェン・ヘディンは、〈シルクロード〉を旅した際、『東方見聞録』の正確さに驚いたというし、マルコの報告を元に、1453年『フラ・マウロの世界地図』が完成した。マルコは中国から陶磁器や、麺(スパゲッティの元になったとも!)、方位磁石も持ち帰っている。そして、これがすぐ後の、〈大航海時代〉の、幕開けに繋がるのだ!
マルコはその後、事業に成功し、家族も持ち、70歳で死を迎えるまで、幸せに生きたと言われる。そして、死の間際こう言った。「この目で見てきたことの半分も語っていない。」と!
万愚節百万男の大冒険風来松