先日、広島竹原の〈中尾醸造〉の蔵開きに行った。かの横山大観愛飲の〈幻〉を作っている蔵で、ここのパッケージのデザインをしている〈ギミック〉のキヨ吉さんの事も、ちょっと存じ上げている(〈八天堂〉のクリームパンの包装や、ローカル誌『タノシビト』のデザインも手がけられた!)。その帰りに久々に呉にも寄り、〈フライケーキ〉を食べたり、〈昴珈琲〉を飲んだりして満喫。最後に、リニューアル中の〈大和ミュージアム〉のサテライト店横の土産物屋で、『呉の町はヤブだらけ。ヤブ文化を追いかけていたら、気がついたヤブ女のお話し。』なる、ちょっとデザインチックなパンフレットを発見した…!
かつて広島で十年過ごした筆者も、広島生まれのかみさんも、これまで全く知らなかったが、ヤブとは、呉の秋祭りに登場する神の使いらしい。姿は、絵にも描いたように鬼の姿。ただ、その面は一つ一つ彫られた物で、地区により形、色は様々。衣装の柄も亀甲模様が多いが、虎縞や、花柄などいろいろある。共通するのは、ヤシで作られた髪、体に巻いた太網、そして手に持つヤブから棒! 竹の長い棒を黄色や白の布で巻いたもの。これで、〈いのこ〉の石のように地面を叩いてお祓いをしたり、米俵を突いて米の出来栄えを確かめたりする。(「藪から棒」の語源…という話は無い。)祭では、神社に米を奉納する者と、〈俵もみ〉で荒々しくぶつかる(長い時は1時間にも及ぶ)。地区によりカッパ・ニグロ・アカ・アオ・ガッソー…等の呼び名も。期間中、40の神社に、400以上のヤブが登場すると言う。
その起源は明らかでは無いが、少なくとも明治時代には、秋祭りにおいて鬼の面が使用されていた。「ヤブ」という言葉の語源は、「ヤブ医者」と同じと思われる。時代遅れの呪術医を蔑んで、「野巫(ヤブ)」と呼んだという説もある。また、呉は1903年に海軍工廠が造られ、「東洋一の軍港」と呼ばれ、20年で人口はかつての7倍の10万人となった。この時移住した中で、最多は筆者の住む愛媛県だった。そして、祭の鬼を「ヤブ」と読んだのも伊予人だったのでは…との推測も!
さて、呉のヤブは、前にも書いた神楽のダイバのように、健康になるように子供を抱く(実際向地区ではダイバと呼ばれる)。ただ、子供達にとってこれはトラウマ級の恐怖らしい…! しかし、ある程度大きくなると、最初に書いたパンフレットの作者、ヤブ女さんのように、ヤブは憧れの存在になるようだ。
秋祭りヤブから棒に呼ばれちょる風来松