384. 厳島

「宮島さんの神主が〜♪ おみくじ引いて申すには~♪ 今日もカープは、勝〜ち、勝〜ち、勝っち勝ち♬」(『花咲かじいさん』の「う〜らの畑でポチが鳴く〜♪」のメロデイでどうぞ)。これは、プロ野球団〈広島カープ〉で、点が入った時に歌われる、ファンにとってはお馴染みの曲。元々は、広島商業高校が使っていた。また、高校野球の応援に「宮島さん」と呼ばれるしゃもじも使用。これは、産業の無かった宮島で、200年ほど前に〈神泉寺〉の僧・誓真が考案した縁起物で、弁財天の琵琶を模している!

さて、前置きが長くなったが、今回は厳島またの名を宮島。〈国土地理院〉は前者、〈環境省〉は後者で呼ぶ。対岸から見た島は観音様の寝姿とも言われるが、恐らく古代より島そのものが信仰の対象だったのだろう。島最高峰の弥山(535m)の巨石群は、岩に対する信仰の対象〈磐座〉と考えられている。海に浮かぶ大鳥居が有名な〈厳島神社〉は、593年創建。806年には空海が訪れ、弥山に御堂を建て修験道場とした。平安時代には平清盛が厚く庇護。江戸中期に、〈天橋立〉・〈松島〉に並ぶ〈日本三景〉の一つとされた。1996年〈ユネスコ世界遺産〉となる。

現在の人口は約1500人。前回も書いたが、鹿は約600頭。かつては、猿も沢山いたが、ほとんどが2011年愛知県犬山の〈モンキーセンター〉に移された。

「厳島」の名前の由来は、「斎く=身心を清める」という言葉。または、〈厳島神社〉の主祭神市杵島姫(イチキシマヒメ)からと言われる。彼女は素戔嗚尊の娘で、二羽の神鴉に導かれ、田心姫(タゴリヒメ)湍津姫(タギツヒメ)と共に鎮座した。絶世の美女らしい!

そんな神聖な厳島だけに、血や死の穢れは忌避される。死者が出ると、対岸の赤崎〈延命寺〉に葬られる。その際、死者を乗せた舟は、死者が無事埋葬地に着けるよう、宮島口の海中に立つ〈むかえ地蔵〉の周りを何度か周る慣習がある。島には墓も築いてはならない。島での出産も禁じられていて、やはり島外で出産、その後100日経たないと戻ることもできない。また、島は女神の胎内とされている為、耕作や機織も禁止。その為、年貢も米でなく、薪で納められた。前述のしゃもじも、そういう状況下ゆえの発明だろう。あと、島では犬を飼う事も禁止されている(かつては県令、今は町令で)。これは、鹿への被害を防ぐ為。

次に厳島の七不思議を紹介する。①毎年5月15日の〈御島廻り〉の儀式の際、前述の神鴉宜しく、カラスが現れて団子を杜へと運ぶ。②旧正月に海に多く出現する龍灯。③かつて社で飼われていた神馬は、どの馬も飼っているうちに毛が白くなった。④弥山に大きく赤い灯が揺れて見える弥山の松明。⑤同じく弥山から聞こえる天狗の拍子木。⑥弥山や浜から、夕方になると、大勢の人の声が聞こえる。⑦雪の日に、大きな足跡の残る天狗の足跡

弥山にも七不思議がある。上記と重複する物もあるが、①空海が焚いて以来、1200年燃え続けているという〈霊火堂〉の消えずの火。②空海が立てかけた杖から生えたという錫杖の梅。③空海が梵字と絵を描いたという巨石曼荼羅岩。④⑤は同上。⑥海の潮の満ち引きが分かる干満岩。⑦晴れた日にも露が落ちたというしぐれ桜

この他にも、いろいろな言い伝えがあるが、よく聞くのが、宮島にカップルで行くと別れる…という都市伝説。実はこれ、歴史が古い。1625年江戸幕府の質素倹約に合わせて広島城下でも遊郭や見世物小屋が廃止された。この際、あろう事か宮島に遊郭が移された(今の町屋通り)。この時広島の男達が、奥方とかに、「私も宮島に連れてってよ〜」と言われた時に「馬鹿言っちゃあいけんよ、あそこは女と行くと別れるって話よ。女神さんが焼き餅やくけぇの〜。」とか言ったとか言わなかったとか。焼き餅といえば、宮島名物〈もみじ饅頭〉は、あの伊藤博文が島を訪れた際、茶屋の娘を「紅葉のような、食べてしまいたいくらい、ぶち可愛い手っちゃ。」 (お隣の長州生まれ)と、言った事で生まれたと言われる…。

最後に、宮本常一『旅と伝説』に載る宮島様を紹介したい。時は平安。彼女は、宮島の御神体である女性だったが、ある日あの平清盛から妻となるよう言い寄られる。宮島様は「もし、一日のうちに千畳の畳を敷くことが出来るなら妻となりましょう。」と言ったが、清盛はそれを成し遂げてしまった! ところが、宮島様大蛇と化すと、さすがの清盛も恐れを成して船で逃げ出した。追う宮島様を、清盛は潮の流れの逆流を利用して逃げ切る。しかし、後に平清盛は、あの音戸の瀬戸を築いた際の日をあおぎ返した罪により、日の病に罹り高熱を出して死んだ…。

18〜30歳までを広島で過ごした筆者にとっても、宮島は何度となく訪れた思い出深い島だ。昔は、水族館にラッコがたくさんいた(そのラッコも、今では日本の水族館に2頭となっている!)。花火大会にも、海水浴にもよく行った。音楽フェスで、今は亡き〈ボ・ガンボス〉のどんとが、海上ステージから海にダイブしたのをよく覚えている。最近では、サミットで各国首脳が訪れたり、奥田民生が能舞台でライヴをしたりもした。そんな事を思い出しながら、今回の絵は描いてみた。

さすらいの旅の途中の夕凪に風来松