35. 風

筆者の俳号「風来松」の風なので、思い入れがある。これ、元々は『寿限無』に出てくる縁起の良い言葉「風来末」に、本名を引っ掛けたもの。よく、「風来坊」とまちがえられるが、それなら大好きな『男はつらいよ』の「フーテン」の方がいい。まぁ、「瘋癲」も似たような意味だが。

さて、本題に入ろう。風というと、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』が思い浮かぶ。『太平記』にも、元寇の折、伊勢神宮の風神社に祀られる風の神が青い鬼神の姿となり、神風を吹かせたとある。実はこれは、『古事記』にある風の神志那都比古神である。

世界にも風の神は多い。『インド神話』のヴァーユは、中国に伝わり仏教の風天となった。『ギリシャ神話』のアネモイは4つの方角の風の神の総称。『ローマ神話』での名はウェンティ。アステカのエエカトル、マヤのククルカン、エジプトの嵐の神はセト。『シュメール神話』のエンリルニンリルは夫婦神。『アッカド神話』には、風と熱風の悪魔パズズがいる。

長崎県壱岐や玉島に伝わる精霊風は盆の十六日に吹き、当ると病になるとされる事から、人々は決して、これが吹く墓場には行かない。山口県豊浦のヤマミサキも、会うと大熱を出すと言われる。姿は人の生首。同県六島村では、崖に落ちた者や難破で命を落とした者が、これになるという。高知県昭和村のリョウゲも不慮の事故で亡くなった者がなり、人に憑くとされる。

全国各地に伝わるのが、鎌鼬。つむじ風に乗り、人の体を切る鼬の妖怪とも、神とも。不思議とこれに付けられた傷からは血は出ない。よく似たものに、高知県黒岩村や土佐山村のムチがいる。鞭を振り回すように田の上に吹いたり、馬を殺したりする。同じく高知県や徳島県祖谷にもノガマがおり、墓に置き忘れた草刈り鎌がなるとも、逆に墓に七日置いてから持ち帰らないと、これになるとも言う。

これらの元になったと思われる、シイ窮鬼が、やはり中国にいる。

一目連は、鍛冶の片目の神天目一箇神と習合し、同一視されているが、本来は片目の龍神である。これが神社を出ると暴風を起こすとされているが、社にはいつでも神威を発せられるよう、扉は無く白布だけが掛けられている。

〈風鎮祭〉も、熊本県阿蘇、兵庫県や、新潟県の二百二十日の〈風祭〉、有名な富山県八尾の〈おわら風の盆〉...等、各地に多い。東北では風の神は風の三郎様と呼ばれる。黒牛に乗るとも、獅子が嫌いとも。これが宮沢賢治の『風の又三郎』のモデルと思われる。八ヶ岳には、風の三郎岳なる峰もある。

絵はmigiの『風の又三郎』。

もがり笛風の又三郎やあーい上田五千石