99. 正岡子規

子規は幼少の頃からおじくそで、青瓢箪なんて呼ばれていたそうだが、大人になっても怖がりだったらしい。『病牀六尺』では、『子供の頃に幽霊を恐ろしいものと言って教えるべきではない』と書いて、他にも『子供に妖怪変化よのうな荒唐無稽な話をしてはならない』とも。彼の祖母が蟇を飼っていて、たいそう可愛がり懐いていたので、子規も蟇には他の人のような気味悪がる感覚がなかったという。つまり、「三つ子の魂」と言うことだろう。

ただ、妖怪自体は嫌いではなかったようで、妖怪体と名付けて、多くの妖怪句も詠んでいる。『大江山鬼の角よりしぐれける』『幽霊の出るてふあたり昼涼し』『春の夜や百物語升落とし』『秋の山御幸寺と申し天狗住む』『怪談に女交じりで春の闇』…。松山七不思議の句も多く、そのうちの十六夜桜の句は小泉八雲の『怪談』にも載る。

『俳人蕪村』でも、与謝蕪村の妖怪句を紹介。『戸を叩く狸と秋を惜しみけり』『狐火やいづこ河内の麦畠』…。

子規は落語も好きだった。学生時代、夏目漱石ともお互い落語好きという事で親しくなり、一緒に寄席に度々通った。その時代に、怪談噺の三遊亭円朝が演っていたので、きっと聴いたはずだ。『地獄めぐり』がお家芸だった、三遊亭円朝とは交友があったっぽい。

夏目漱石も『余はかねてより妖怪に逢う資格が有ると思っていた』と言うくらい、怪奇・幻想好き。『倫敦塔』や『夢十夜』といった作品を読めば、なるほどと思う。

子規と漱石は、1895年の52日間を松山の〈愚陀仏庵〉で、過ごした。その間、句会に明け暮れたが、百物語なんかもしたのではないだろうか…。戦火で失われた〈愚陀仏庵〉は、1982年松山城の麓に再建されたのだが、2010年の豪雨災害で全壊。再び、元あった場所に再建するという話があるが、残念ながら今の所、なしの礫である。もし、復活の暁には是非、妖怪句会か、百物語でもやってみたいものだ。

追記 
2024年12月、母校番町小学校のプール跡地に、愚陀佛庵の再建が決定された!

短夜の足跡許りぞ残りける正岡子規