63. 覚

サトリ。人間の心を読む妖怪。猿のような姿で、奥山に棲むという。人には危害を加えないとも、思うことを止めた者を喰うとも。

『和漢三才図会』にあるのは、飛騨・美濃の山奥に棲み、猿のようで大きく、黒い長毛、立って歩く。よく人の言葉を話し、人の心を読む。危害は加えない…とある。名は黒ん坊

中国の攫(カク)(チュイ)の一種か…としている。これは、やはり猿のような姿で、人の女を攫い子を産ませる妖怪なのだが、特に心を読む話は無い。サトリの語源も、この「攫」が「覚」となったとも言われている。

鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』にとして描いており、彼の命名かと思われる。『人のこれを殺さんとすれば、その意(こころ)をさとりて逃げ去と云』とある。

柳田國男も『妖怪談義』において、両者は同根のものとしている。また、山彦もやはりがモデルと言われる。

の言い伝えは全国各地にある。中部から九州の広い範囲で、猿、狸、天狗等が人の心を読む話があり、一連をサトリのワッパとして分類している。だいたいが、火に当たっているところに現れ「お前、今怖いと思ったな?」等と次々に言い当てるが、最後に偶然、焚き木等が弾けて、これに驚いて逃げていくというパターン。最後の部分は、やはり中国のショウなる妖怪話と同じで、これは春節に爆竹を鳴らす由来となったとも言われる。

山形県では、暖めていたカンジキが弾けた事から、これを吊しておくと除けられるとする。福島県では、柴の木が折れて当たったとなっている。静岡県榛原郡上川根村ではザラザラザッタラという名で、南瓜に手足の生えた姿。山梨県精進の大和田山ではおもいの魔物と呼ばれ、ここでは砕けた鉞が当たり、こう言ったという。「思うことよりも思わぬことのほうが怖い。」

描いたのは、猿ぽく、どこかぽくもあるロシアのチェブラーシカ。自分でも正体は分からないらしいが恐らく南の島の猿? 横で見ているどーもくんの方も妖怪妖精ではなく、恐竜時代の生き残りらしい!

解夏となりサトリと三度相見ゆ風来松