7. 骸骨

骸骨の妖怪というのは、意外と少ない。

鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』の狂骨は井戸から現れる白髪の幽霊ぽい姿。同じく石燕の骨女も『今昔画図続百鬼』に載るが、これは怪談の『牡丹燈籠』がモチーフ。青森県に同名の妖怪がおり、生前醜かった女が死後、骸骨姿を見せて回ったという。

名はないが、三つのしゃれこうべに頼まれた仇討ちをして礼を貰った話もある。広島県で目から筍が突き出た髑髏を見つけ、きれいにして干し飯を供えたところ恩返しを受けたという話は『日本霊異記』に。陸奥国坂芝山で角大師こと良源の髑髏に経を習ったという逸話も『撰集抄』に。奥州八十島では、在原業平が小野小町だと思われる髑髏から聞こえた「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ...」という上の句に「小野とはいはじ薄生ひけり」と下の句をつけたという。

がしゃどくろという、巨大骸骨はよくみられるが、元は歌川国芳の『相馬の古内裏』で、平将門の遺児滝夜叉姫が呼び出したもの。水木サンも『妖怪事典』に書いているが、特にそういう妖怪が伝えられているわけではない。

欧州では、死神がだいたい大鎌を持ち黒いフードを被った骸骨の姿で描かれる。タロットカードでも、そんなデザインをよく見かける。死を司る大天使サリエル死神とも言われ、死者の魂を狩るとも、邪視を持ち月を支配する堕天使とも言われる。他にも、特撮界の巨匠レイ・ハリーハウゼンの映画『アルゴ探検隊の大冒険』に登場した骸骨の剣士龍牙兵は印象深い。

オーパーツにも、水晶で出来た髑髏クリスタルスカルがある。アステカやインカの遺物といい数十個存在するが、どうもどれもバッタ物ぽい...。

聖遺物聖骨もある。十二使徒の一人ヤコブの骨は、最近の調査でそう昔のものではないと判明...。荒木飛呂彦のマンガ『ジョジョの奇妙な冒険第七部・スティール・ボール・ラン』は、19世紀の北アメリカ横断の馬によるレースが舞台なのだが、各地に散らばるキリストと思われる聖人の遺骨を集めるというストーリーだった!

同じ聖人の遺骨でも、釈迦のそれである仏舎利は、まだ信憑性が高い。釈迦の死後、遺骨を巡っては一時争奪戦めいていたが、最終的には8等分され灰も含め10か所に分配されたという。日本でも、仏舎利を納めた仏舎利塔をよく見かけるが、これは第二次世界大戦後、インドのネルー首相により贈られたものを用いて全国各地に作られた。それも含め、現在200の仏舎利塔があるが、残念ながら本物の仏舎利が納められている例は、ほとんどない。日本最古の仏舎利塔、法隆寺五重塔にある物も、最近の調査でダイヤモンドだと判明した。ただ、本物もある。明治33年シャム国王から送られた、名古屋市覚王山日泰寺にあるそれだ。この寺はどの宗派にも属していない。また、高尾山有喜苑の物も本物といわれる。かつて、鑑真が三千粒、空海が八十粒を持ち帰ったともいう。

卜骨は、獣の骨を焼き亀裂で吉凶を占うもので、弥生時代に既に行われていた。その中の一つが、太占といい牡鹿の肩骨をハハカの木の火で焼くのだが、中国から亀甲が入り廃れたという。

中世ヨーロッパの貴族の墓標などに、朽ちる遺体のレリーフを刻むトランジットも、骸骨の姿。「メメントモリ」=「死を想え」という意味なのだろう。

メキシコでは、2500年前から祖先の骸骨を身近に飾る習慣がある。今でも、カラベラという髑髏のモチーフが多く見られ、11月1・2日の死者の日は、日本のお盆的な行事で、マリーゴールドと共に、カラベラも街中に溢れる。映画『リメンバー・ミー』でも描かれた。何年か前に筆者もメキシコに行き、カラベラのカップやら、切り紙のパペルピカドを買って帰って、飾っている。死を想う境地には至れていないが...。

雪催ひ骸骨なめる犬の横目鈴木詮子