91. 酒呑童子

日本三大妖怪の一。

生まれは越後伊吹山。素戔嗚尊に敗れて 出雲より落ちのびた八岐大蛇と、長者の娘玉姫御膳の子とも。生まれた時より歯も髪も生えていて、言葉も話せたという。幼名は外道丸。名とは裏腹に艶やかな青年に成長。彼を慕って死んだ女達の恨みの炎によりと化したというのは、気の毒のような羨ましいような...。

その後、比叡山に居を構えたが最澄に追い出され、移った大江山でも空海に封じられる。さすがの酒呑童子も、仏教界の二大スターにはお手上げらしい。

空海の死後、大江山に舞い戻り千丈嶽に鉄の御所を作り根城とする。副官もしくは妻として、酒比べに負け配下となった茨木童子。そして、虎熊星熊の四天王。この頃の童子の姿は、日昼は赤ら顔の童子、夜は熊のような手足に逆立つ赤毛に角...との正体を現したという。

995年。一条帝の御世。京の町で姫君が次々と神隠しに会うという事件が発生。安倍晴明により、酒呑童子の仕業と判明し、源頼光と四天王、藤原保昌らが討伐に向かう事となる。一行は山伏に化け、根城へ潜入。八幡大菩薩から授かった神変鬼毒酒を飲ませた上、寝込みを襲い、酒呑童子の首を取った。死際に、「鬼に横道なし」と頼光を罵ったという。

生き残った茨木童子はその後、京一条戻り橋(または羅城門)で、渡辺綱に名刀・髭切で片腕を切り落とされ、程なく取り戻すが姿をくらます。酒呑童子の子鬼童丸も、やはりに討たれた。四天王と共にあった藤原保昌は褒美として、和泉式部を賜った。

大嶽丸と同様、兜に噛みついたという首は、〈宇治の宝蔵〉に。または京の〈首塚大明神〉に。首から上の病に霊験あらたかな神社として知られ、酒のお供えも多い。酒呑童子を斬った、〈童子切安綱〉は国宝の天下五剣とされ、〈東京国立博物館〉に。同様の伝説のある〈鬼切丸〉も神奈川県川西市の〈多田神社〉に祀られている。

最古の記述は室町時代の『大江山絵詞』。その後、能や歌舞伎でも演じられ、郷土祭り等でも多くその姿がみられる。河井継之助は、越後が生んだ三傑として、上杉謙信、良寛、そして酒呑童子をあげている。

やはり、大嶽丸同様、倒された達が憐れ...。だいたい、筆者は源氏があまり好きでない。調べてみると、ご先祖は平家側だったらしい。そんな思いを句に詠んでみた。

荒走り呑むなら源氏より鬼と風来松