267. 蚕

5000年前の中国。黄帝の后・西陵氏が、庭で繭を作る虫を見つけて飼い始めたのが、養蚕の始まりとされる。後に稲作と共に日本へも伝わり、七世紀頃には国の主要産業となった。

四世紀、東晋の『捜神記』。行方不明の父を探す娘が、飼っていた馬に「もし見つけて来てくれればお嫁に行く」と戯れて言った所、本当に探し出し連れて来てしまった! だが、事情を聞いた父親により、馬は殺されてしまう。その際、剥いだ馬の皮が娘の全身を覆い、一匹の巨大な蚕になったという...。

この話が後に日本にも伝わり、前述した『遠野物語』にも載るオシラサマになった。ただ元の中国版では娘は馬を嘲ったのに対し、日本版では馬を愛したと変わっている。

『古事記』には、スサノオが殺したオオゲツヒメの頭より蚕が生じたとある。また、『日本書紀』は、ツクヨミが殺したウケモチの肩よりとなっている。これらは、世界各地に伝わる、殺されたの骸より作物が生じる『ハイヌウェレ型神話』である。

渡来については、『仁徳天皇記』には応神帝の御世に、百済の奴理能美が伝えたとあり、平安時代の『日本三代実録』には195年秦の功満王(こまおう)が、奈良・豊浦宮に伝えたとある。

さて、前回のうつろ舟で述べた金色姫は、幕末の『養蚕秘録』に載る。6世紀、北天竺・旧仲間国の霖夷王の娘金色姫は、世にも稀な美しい娘だったのだが、それに嫉妬した継母により、四度の苦難に見舞われる。(四は蚕が脱皮の準備をする「眠」の回数)あげく桑の木で作られた靭舟(うつぼぶね)に押し込まれ海へ流されてしまう。流れ着いたのが常陸国豊浦浜。漁師の権太夫とその妻に救われたが、程無く病死。その死骸が無数の虫となり桑の葉を与えると、美しい糸を吐き繭を作った。夫婦は、筑波山の影道(ほんどう)仙人に糸を紡ぐ技を教わる。これが養蚕の始まりとされる。

蚕といえば、知り合いのバードウォッチャー夫婦が、生き物好きが高じて、蚕を飼い始めたと数年前に聞いた。家畜化され、もはや野生では生きられない蚕を、再野生化したいと言っていたが、果たしてどうなったのだろう?

愛憎と馬と娘と繭の中風来松