451. 奥道後の大蛇
以前〈石手寺〉の回で書いた、寺の僧が退治したという大蛇についての情報の提供があったので、改めて詳しく調べてみた。
大蛇は雌雄のニ体で、奥道後の湧ヶ淵(わきがふち)に棲み着いていた。現在は温泉施設〈壱湯の守〉の敷地内にある。多くの近隣の民に災いをもたらしていた為、石手寺の僧が石剣で首を斬り落とし退治したという。
この大蛇の頭骨と、石剣が石手寺の宝物館に今も残る。蛇骨の方は直径10cmの拳大で、大き目の普通の蛇といった感じ…。一方の石剣は長さ37.4cm、幅8cm、厚さ7mmの磨製石器という立派な物。空海が請来(仏教用語で外国から仏像、経典などを請い受けて持って来ること)したとも!
そして、この伝説には続きがある。実は大蛇のうち雌の方が生き残っていて、元和年間(1615〜1623)夜な夜な美女に化けて通行人を誑かし淵に引きずり込んでいた。これを、湯山菊ケ森城主・三好長門の長男蔵人秀勝が鉄砲で討ち取った。その血は三日三晩流れ続け七日後死骸が下流の天神縁淵に流れ着いたという。
別の話では、湯山村食場(じきば…現在は火葬場がある。その名は長慶天皇の御潜幸時に御前が供えられた事に由来)の三好家に奉公していた美貌の女中に化けていたとも、討ち取ったのは庄屋だったとも。また、江戸時代中期にまとめられた『予陽郡郷俚諺集』には、「当時湧ヶ淵に大蛇伏けるを、半蔵と云者鉄砲を以て打とめ、其蛇骨今に所持す」と記されている。これの頭骨も三好家に代々伝わり今は〈壱湯の守〉敷地内の〈龍姫宮〉に祀られ毎年8/23には大祭が行われている。
さて、何度も名前が出ている奥道後は筆者と縁がある。ここにはかつて、一大レジャーランドがあった。1964年後に「四国の大将」「映画王」「船舶王」…等と呼ばれた坪内寿夫が開業。金閣寺を模した一億七千万円の「錦晴殿」、巨大な「ジャングル風呂」、そして「奥道後ロープウェイ」や映画館…! ここから北にある〈奥道後ゴルフクラブ〉は、作家柴田錬三郎の為に坪内が作った(柴田は後に坪内を主役にした『大将』を書いた)。
実は筆者の母親が若かりし頃にここに務めていて、多くの映画スターに会ったとよく話していた。その縁からか、子供の頃招待券を貰っては友人達と自転車で長い坂を登って奥道後へ行き一日中遊んだものだ。しかしバブル崩壊後、資金繰りは悪化。2001年には豪雨により大きな被害を受けた。そしてついに2012年10億円の負債を抱え民事再生法の適用を申請、現在は愛知県の企業に渡り〈壱湯の守〉としてリニューアルオープンしている。
今や、かつてあった映画館も、名物の〈ジャングル風呂〉も無く、ロープウェイも廃墟と化し心霊スポットに。件の湧ヶ淵の遊歩道もすっかり荒れてしまっている…。一度、リリニューアル後に訪れた際、早くに風呂から上がり散策していると、古い施設の方にお年寄りがいて「あの水害の時に崩れた大きな岩から、奥道後の転落も始まったんよ…」と、話してくれた。すっかりオシャレに生まれ変わった奥道後だが、その影に今だ残る廃墟や、いかにも昭和の大ホテル的な外観は、何だが巨大な妖怪じみていて、独特な雰囲気を醸し出している…。
絵は『吾輩は猫である』に登場する蛇飯! 漱石の横は、『蛇くひ』で蛇鍋を書いた泉鏡花。もっとも彼は極度の潔癖症で「チョコレートはヘビの味がするから嫌だ」と言っていたとか。
句は、そんな奥道後を散策したという夏目漱石のもの。
冬木立寺に龍骨を伝えけり漱石
蛇を斬った岩と聞けば淵寒し漱石