438. 桜

サクラはヒマラヤ原産とされ、2万5000年前の化石が見つかっている。日本には10種類くらいの野生種を基に、100種以上の自生種、200以上の栽培品種、名のつく品種だと800種類以上…!

ここ松山にも〈陽光桜〉がある。戦死した生徒達の冥福を祈り、高岡正明(あの〈伯方の塩〉の初代社長!)が25年かけて誕生させた、どんな気候でも咲く交雑種。2015年には映画化もされた。

今年も花見のシーズンが間近なのだが、奈良時代までは花見といえば、中国から来た梅や桃が主流で、日本産の原種である山桜なんて野暮ったいとされていた。『万葉集』も、梅118首に対して桜は44首。だから、有名な「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花」の花は梅だ。ところが、平安時代になり国風文化の世となると一転桜が見返され、『古今和歌』では、桜70梅18と逆転している。というわけで、紀貫之の「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」も、西行の「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」も無事(?)桜である。松尾芭蕉の、「さまざまの 事おもひだす 桜哉」もあったか。

花見となると、嵯峨天皇の神泉苑での宴が最初と言われ、その後1594年豊臣秀吉の吉野の花見、江戸時代になると1720年徳川吉宗が浅草等に桜を植えて花見を奨励し一般庶民にも広がった(さすが暴れん坊!)。その後、吉原遊郭も桜の名所となったが、なんとその期間だけ移植されたらしい!

ところで、日本には実は国花というものが法定されていない。皇室の象徴は菊だが、明治以降公的機関ではご存知の通り桜が多く用いられている(旧日本陸軍・警察官・自衛官・裁判官・検察官…)。

「さくら」の語源は諸説あるが、そのなかの一つが春に里にやってくる「さ」(稲)の神が憑依する「くら」(座)というもので、これは神話の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)の婚姻譚とも関係があるとされる。彼女は富士の頂から花の種を蒔くとも言われる。

さて、桜に関する妖怪譚は各地に多くある。佐渡では、人語を発する桜や、海潮寺に祀られる人助けのムジナ・桜姫の話が。長野県安曇野には、人を憑き殺した山桜の精が、静岡の幹から血を流す桜には、似たような話が全国に多い。栃木には敗れた武将の鞭からなった残念桜があるが、杖をついたり枝を挿したりしたものがなったという話も、日本武尊から、坂上田村麻呂、源為朝、西行、日蓮…と、やはり類話にキリがない。

文学作品にも、梶井基次郎の『桜の樹の下には』(『桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!』という冒頭文)、坂口安吾の『桜の森の満開の下』等、幻想的で妖しい物が多い。

現在NHKの朝ドラで、小泉八雲夫妻の『ばけばけ』をやっているが、彼の代表作『怪談』にはここ伊予松山の桜の話が二つも書かれている。

一つは十六日桜。御幸町の天徳寺境内と桜ケ谷にある。老翁がもう桜を見ることはあるまい…と嘆いたところ旧正月の十六日に咲くようになった…という話と、長く病床にあった父親に桜を見せたいと思う孝行息子の想いでやはり十六日に…という話が知られる。これをもとにした八雲の『怪談』では、正岡子規の『うそのよな十六日桜咲にけり』の句が引用されている。小林一茶の『西国旅日記』にも正月十六日に満開だったと書かれている。だが、かつて山越の龍隠寺にあった木は戦災で枯死。現在のものは株分けされた物だという。

もう一つは乳母桜姥桜とも)。南江戸の国宝大宝寺の前にある。こちらは、角木長者の娘るりが十五歳で病に臥せった際、乳母のお袖が薬師如来に願い自らの命と引き換えに救ったという謂われ。

怪談はどの話にせよ何だが物悲しくてあまり好みではないが、この二話も例に漏れず…。それにしても、なぜ伊予松山の話が二つも載っているかというのは、また別の機会に…。

梅はほころび桃はわらふ桜は風来松