376. 石手寺

松山市に住む者にとって〈石手寺〉の名は、馴染み深いものだと思う。筆者も幼少の頃から、父方の祖母と一緒に月に一度は、この〈お大師さん〉に参っていた。目当ては、寺の中にある洞窟と、門前の焼き餅屋の〈おやき〉だった。

728年。伊予の太守・越智(河野)玉純が、夢でこの地が霊場であると感得。〈熊野十二社権現〉を祀る〈安養寺〉として創設された。813年に弘法大使空海が訪れ、真言宗となる。815年開設とされる〈四国八十八カ所霊場〉の51番札所に。本尊は薬師如来鬼子母神も祀られ、安産のご利益があるとされ、筆者も義妹の出産時に石を貰いに行った。〈石〉は、名前にもある通り〈石手寺〉の重要ワードである。

〈四国八十八カ所霊場〉が出来た約十年後…河野一族の豪農・衛門三郎の元に、みすぼらしい托鉢僧が訪れる。彼は僧を無下に追い返し、鉄鉢を八つに割る。その直後から、衛門三郎の八人の子供は次々と亡くなった…。この僧こそ、弘法大師空海その人だった。衛門三郎は詫びを入れる為、弘法大師を追う旅に出る。しかし、20回四国を廻っても出会えず、21回目からは逆に廻るも、12番札所〈焼山寺〉で力尽きてしまう。今際の際に現れた弘法大師に望みを聞かれた衛門三郎が「来世も河野家に生まれ人の役に立ちたい」と告げると、大師はその手に石を握らせた…。892年、河野家に生まれた男子の手に「衛門三郎再来」と刻まれた石が握られていた! この時から、寺の名前は〈石手寺〉と改められたのだった。

〈石手寺〉には、国宝の〈ニ王門〉(〈仁王門〉ではない)、「落書き堂」と呼ばれ、かつて正岡子規や夏目漱石の物もあった(2次大戦中に塗り直されてしまった)〈大師堂〉、前述の〈マントラ洞窟〉(近年かなりパワーアップした!)、あの衛門三郎の石のある〈宝物館〉等がある。更に近年、あらゆる〈パワースポット〉やら、仏像やらが乱立し、珍スポットとして有名になってしまった…。参道の入口には〈mohenro chaya〉なる〈萌えカフェ〉もあった…。そんな状況には批判も少なくなかったが、〈石手寺〉は震災や戦災への支援も積極的に行っており、ちょっと行き過ぎ感はあるにしろ、その熱量は本来、寺社のあるべき姿だと筆者には思えた。現在は代替わりして、少し落ち着いています。

さて、そんな〈石手寺〉にも七不思議がある。一. 渡ると足が腐るという渡らずの橋、二. 不動明王の姿が浮かぶ不動石、三. 足腰の病に効くという〈二王門〉の草鞋、四. 病に効く香煙、五. 潮の干潮の分かる〈水天堂〉の水瓶、六. 〈詞梨帝母堂〉の子授かりの石、七. 道後の湯の湧く音のする湯音石。他にも、寺の〈湧ヶ淵〉にはかつて寺宝の石剣で退治された大蛇がいて(その妻も下働きに化けて復讐の機会を狙うも撃ち殺された)、その頭の骨と宝剣(37.4cmの両刃の石剣)は現存する。

絵に描いたのは、〈四国八十八カ所〉の中で、弘法大師が起こした奇跡(杖をついて水を湧かせたり、草木を生やしたりという話が多い)や、各札所に伝わる伝説(大蛇やら仙女やら幽霊やら…)。

〈四国八十八カ所〉といえば1999年に『死国』なる映画を観たが、通常とは逆廻りの〈逆打ち〉をすると、死者が蘇るといった罰当たりな内容だった(実際に〈逆打ち〉は行われていて、通常の右廻りより厳しいが、死者は蘇らない)。蘇ったのは、これがデビュー作となる栗山千明。まさか、この数年後『キル・ビル』でハリウッド・デビューするとは本人も思わなかっただろう…(もっともクエンティン・タランティーノが彼女を発見したのは、深作欣二の『バトルロワイヤル』の方だったが)。実はこの時、筆者の目当ては同時上映の『リング2』だった(おそらく、同時上映というのを見たのはこれが最後だったのではないかと思う)。ただ、こっちの方もひどい内容だった(名作だった1作目の正式な続編『らせん』があるのに、なぜかわざわざオリジナルを作った)。ただ、あの時、作品の内容よりも筆者が気になったのは、前の席で終始イチャついている高校生の制服カップルだった…。そして、一瞬女の子の方と目が合った時にニッコリ微笑まれたのは、よっぽどホラーめいていた…。

このテーマで、このオチはないだろうと思われるのももっともだが、そこは神職の孫にもかかわらず、筆者の信心浅さだとご容赦願いたい…。

幾つ捨て幾つ拾ふや秋遍路風来松