〈天の逆鉾〉・〈天之瓊矛(あまのぬぼこ)〉・〈金剛宝杵(こんごうほうしょう)〉・〈天之魔反戈(あまのまがえしのほこ)〉…。いろいろな呼び名があるが、平たく言ってしまえば、伊弉諾・伊奘冉が国産みをした際のマドラーである。二人は天浮橋に立ち、矛の柄でもって、海をかき回した。切っ先より滴った滴はオノゴロ島となり、ここに降り立ち、国を産んだ。その後、矛は大国主命を通して瓊瓊杵尊へ譲られ、平和の祈りを込めて大地に突き立てられたという。今現在、〈伊勢神宮御酒殿〉に保管されているとも、霧島山の高千穂峰の頂に突き刺さっているとも言う。
ちなみに、これを含めて日本三奇と言われるのが、兵庫県高砂の石の宝殿。宮崎県塩竈市の四口の神釜。
さて、高千穂の方は、神代からあったとも、奈良時代には存在していたとも言われる。文献では、1675年、神道家・橘三喜の旅行記に初出。医師・橘南谿も記している。
よく知られるのが、あの坂本龍馬とお龍さんが日本初の新婚旅行で訪れて、引っこ抜いてしまった話! 乙女姉やんへの手紙にも、お龍は女人禁制の為、男装して登り、苦労の末着いた頂上には逆鉾があったが、滑稽な天狗の面があり大笑いし、二人して抜いて元に戻した…とある。
龍馬夫婦が抜いて程なく山で噴火があり、天の逆鉾は折れてしまった! その刃は島津家に渡った後、〈荒武神社〉に納められたが、戦後の混乱で行方知れずに…。柄は今も地中に埋まっているという。なので、現在霧島山頂にある物は、レプリカ。しかし、天の逆鉾の周りにはチェーンが張られ近づけない…。
絵に描いたお龍さんが鉄砲を構えているのは、新婚旅行中、山で鳥を撃って遊んでいたとの事から。
天高し神のホコぬく女ニ候風来松