64. 隠れ里

山奥、穴の中、洞窟の先、水辺の奥...等にあるという、理想郷的集落・地域。平和で、温暖、作物・果実が良く実り、家畜もたくさんいる。美女がいる、もしくは無人(ついさっきまで人のいた気配がある)。時が遅く流れ、親切な歓待を受けるが、出てしまうと二度と訪れる事は出来ない。川上から箸や椀が流れ着く、椀を貸してくれる、ここで手に入れた椀等には特別な力がある...といった『椀貸伝説』とも結びついている。

昔話の『浦島太郎』の龍宮や、『おむすびコロリン』の鼠浄土も、すぐに思い浮かぶ。京極夏彦・多田克己共著『百解説』には、『鼠』=「子」は根の国にも結びつく。この地の支配者大国主命は、素戔嗚尊の娘を娶る際の試練で、鼠に助けられる。また、神道で大国主命と混淆される大黒天の神使と鼠。鳥山石燕『今昔画図百鬼拾遺』の隠れ里にも大黒天が描かれている...と指摘している。

隠れ里の伝承は全国各地に残る。有名なのは、柳田國男が『遠野物語』で書いたマヨヒガ。欲のない女が何も取らずに帰ると、穀物をいくら入れても減らない、赤い腕を手に入れたという話。岩手県柳村では、一ヶ月のつもりが3年の月日が流れており、口止めされていた隠れ里の話をした途端、腰が折れるという恐ろしい話。千葉県成田不動近くの龍光寺では、ここで貸し与えられた腕等の調度品を返さず持っていると栄えたという。逆に宮崎県臼杵の諸塚村では、借りた椀の数を違えて返すと二度と貸してくれないという。同県都城・高千穂、鹿児島県高山町・霧島・知覧等、南九州にも伝承が多く、金柑・柚子・蜜柑などがたわわに実っているというのがパターン。

その正体としては、平家等の落人部落、山岳信仰や理想郷への憧れ、年貢の徴収を逃れる為の隠し田百姓村...等が考えられる。

リアル隠れ里と言えるのが、静岡県犬居川上流の京丸の里。享保年間の洪水で、膳椀等が流れてきたことで初めて存在が知れた。『遠山奇談』によれば、住民は南北朝時代の後醍醐天皇の首級が葬られた墓を守ってきたという。また、他村との通婚も禁じられていた。ほとんど(もしくは全員)が藤原姓。遠州七不思議の一つ京丸牡丹は、この村に迷い込んだ若者と村の娘が化したものと言われ、60年に一度咲く。柳田國男、折口信夫、登山家・深田久弥、最近でも『山と溪谷』のライターが訪れている。折口は、村の藤原本家に宿泊して調査を行った。かって、太閤検地では二十軒あったとされるが、2005年には1人、2007年に0人となっている。

他にも、長野県秋山郷、岐阜県白川郷、前述の飛騨五箇村、徳島県祖谷、宮崎県椎葉村等が、隠れ里として挙げられている。

中国でも、ベトナム国境近くにある雲南省峰岩洞村がテレビ局の取材で、1994年に発見された。かって明の苦役から逃れて来た人々が作った、名の通り100mもある洞窟内の村。2024年現在、屋外博物館になってしまっているが...。

描いたのは、『千と千尋の神隠し』の油屋のある異界への入口。そういえば、メイちゃんがトトロに出会った草のトンネルの先、龍の巣の向こうにあったラピュタ、最新作『君たちはどう生きるか』の大叔父の家、遡ると宮崎駿の原点とも言える『風の谷のナウシカ』の、実は浄化されていた腐海の深部も、全て隠れ里めいている...。

さて、最後に。筆者の住む愛媛県にも、平家の隠れ里がある。場所は、宇和島市津島町岩松。かつて、この地で獅子文六がこの地を舞台に『てんやわんや』を書いた。作品の中に、山あいの平家の落人部落が出てきて、主人公はここで色っぽい歓待を受ける。何年か前に、彼の逗留した旅館〈大畑旅館〉は訪れたのだが、隠れ里には行けなかった。実は我々に先んじて、岩松の隠れ里を訪れた人物がいた。松山在住の自称〝絵日記作家〟神山恭昭である。ほそぼそ芸術家として、昨今東京進出まで果たした郷土の誇る(?)、愛すべき〈よもだ〉であり、この何年か親しくさせてももらっている。果たして、神山サンが隠れ里でどんないい思いをしたのかまでは聞いてはいない。実は〈大畑旅館〉も2024年5月に残念ながら廃業してしまい、件の隠れ里はまだ存在するのか、はたまた神山サンの行った隠れ里自体、現の出来事だったのかさえ疑ってしまうのだった...。

台風の目の中にだけ隠れ里風来松