26. 雪男

1972年。大学を中退し世界を放浪してきた24歳の青年・鈴木紀夫は、フィリピン・ルバング島に残留日本兵・小野田寛郎少尉に会いに行く。ある日、長髪、ジーンズ、靴下にサンダル履きの鈴木は、背後から声をかけられた。小野田だった! 銃を突きつけられたまま話し始めたが、程なく小野田は警戒を解き、二人で何時間も話し続けた。「今夜はゆっくり飲み明かしましょう」と、鈴木はジンを勧めたが、実は小野田は下戸だった。どうしても、話を信じようとしない小野田に業を煮やした鈴木は「あ〜あ、ばからしい! もう話すことは無い!」と寝てしまったという。しかし、翌年三月。鈴木は上官を連れ再訪。無事、小野田を帰国させたのだった...! 鈴木は言っていた。「パンダ、小野田さん、雪男に会うのが夢だ。」

3年後...鈴木は、ヒマラヤ・タウラギリの南東稜コーナボン側斜面で、5頭の雪男を目撃! ゴリラに似て、胸板は厚く肩は盛り上がり、腕は太く、大きい方は170cm程度で茶褐色、小さい2頭は白い毛で子供と思われた。カメラと8ミリでの撮影にも成功! 鈴木は意気揚々で帰国したが、現像したものはケシツブのようで、誰にも相手にされなかった...。彼は小野田少尉の方がカメラに詳しかった程のメカ音痴だった...。その後、鈴木は6度に渡って同じ地点を訪れたが、1986年、遭難し帰らぬ人となった...。

ヒマラヤで雪男は、イエティ。シェルパ語で、「岩の動物」の意。ブータンではメギュ、チベットではテモ、ネパールではメテ等共呼ばれ、大型のテューティもしくはズーティー、中型のミティ、小型のテルマーがいるとも言われる。いずれも、1.5〜4mほどの直立歩行の毛に覆われた姿。

最初の報告例は、1832年、ネパール在住のイギリスの高官・BHホジソンで、現地語でラクシャス(悪魔)と呼ばれる獣人がいる事を学会誌で発表。1889年、1921年に足跡が発見され、1925年、遂にギリシャの博物学者NAトムバイジがイエティを目撃! 1951年、登山家エリック・シンプソンが足跡の撮影に成功。その後も目撃が相次ぎ、1959年には日本の東大医学部と毎日新聞の調査隊も派遣された。しかし、1960年あのエドモンド・ヒラリー率いる学術調査隊が、雪男に関する全ては既存の動物の物だと結論した...。ただ、その後も登山家による目撃情報等が後を絶たず、日本の著名な登山家、芳野満男・田部井淳子・小西浩文らも目撃を証言している。小西に至っては、1000m地点のチベット寺院で襲撃されたという! 植村直己の捜索や、河口慧海の調査で知られる根岸誠も現地調査を行った。

元々、シェルパの間でイエティは神であるマハーカーラーの使いとされ、人々に罰を与える存在として畏れられていた。風のようで姿は見えず、窓から入ってくると家の者が病気になると言われるので、窓を小さくする風習があった。

正体としては、ヒグマ、ヒマラヤラングール、霊長類ギガントピテクスの生き残り等と言われる...。

似たようなUMAとしては、ロッキー山脈のビッグフット、中国の野人、日本・広島のヒバゴン等がいる。

2011年、探検家・角幡唯介は、鈴木紀夫の雪男探索を追体験した『雪男は向こうからやってきた』を執筆。奇しくも同年、アメリカ・ロシア・カナダ等、7カ国の大捜索がおこなわれ、発見された体毛等は60〜70%の確率でイエティの物だと断定。その存在も95%と発表した!(後に取り消されたけど...)

小野田さん会ってくるよ雪男に風来松