150. ぬらりひょん

着物か、袈裟姿の禿頭の老人の姿。

『百鬼夜行絵巻』等、江戸時代の書物に多く登場するが、その名の通りとらえどころのない妖怪である。

和歌山県の学者・太田信衛宅に殿様が訪ねた際、ぬらりひょんが現れ、「自分は山の妖怪だ。」と告げたという。また、岡山県では海に現れる人頭大のとらえどころのない球体が、この名で呼ばれている。

現在ぬらりひょんは、家のものが忙しくしている夕方などにどこからともなく家に上がり込み、自分の家のように茶や煙草をやる。そうなると、追い出すことはおろか、その存在に気付くことさえできない。という姿が一般化している。

更に明治時代、藤沢衛彦の『妖怪画談全集』に、鳥山石燕のぬらりひょんを説明した箇所に『まだ宵の口の燈影に、ぬらりひょんと訪問する怪物の親玉』と書かれたことから、妖怪の親玉という立ち位置が確立されてしまい、水木サンの『ゲゲゲの鬼太郎』でも同様の設定で登場し、すっかり定着してしまった...。

これを大いなる誤解という者もいるが、京極夏彦は「本来、妖は時代と共に姿を変えていくものだ。」という容認派。まぁ、もともと、とらえどころのないのが妖怪なので、案外それでいいのかもしれない。

ひょんの実の中よりひょんとぬらりひょん風来松