361. 風呂

筆者は伊予松山生まれなのだが、18歳で地元を離れ、20年強各地を転々として戻って来た。その上でお国自慢が3つある。1つ、みかん。やはり、どの県よりも断然愛媛みかんが美味しいと思う。2つ、城。確かに各地に名城はあるが、縄張り・立地等バランスの良さだと、やはり〈松山城〉! 3つ、今回のテーマである、風呂。日本最古3000年の歴史を誇る〈道後温泉〉。何よりその熱さ42℃! 今年、5年26億円の大改修を終えようとしている。大竹伸朗の白鷺と石鎚の工事幕は、素晴らしかった...!

元々、足を痛めた白鷺が傷を癒したというのが起こり。勿論、白鷺は〈道後温泉〉のシンボルである。また、『伊予国風土記』には、少彦名命大国主命が伊予を訪れた際、大分県別府の鶴見岳から導いた湯で、少彦名命の急病を癒したとある。この手の開湯伝説は各地にあり、神攻皇后・坂上田村麻呂・行基・空海・一遍...といった人物系、有馬温泉の三羽の烏、〈下呂温泉〉はやはり白鷺...という動物系も多い。福島県の〈猫啼温泉〉は和泉式部の愛猫が主人と別れた傷を癒やしたという変わり種!

風呂の歴史は古く、5000年前の〈モヘンジョ・ダロ〉からも公衆浴場の跡が。ダビデ王もエルサレムに作り、ローマ帝国のハドリアヌ帝も混浴風呂を作った。九尾の狐のインド・マガダ国にも多かったという。しかし、キリスト教では忌避され、ヨーロッパでの風呂文化は廃れていった...。

一方、日本では元々は、神道の川や滝での禊だとされる。その後も、風呂の語源が「室」と言われるように、蒸し風呂だった。湯船に浸かり始めたのがいつごろからだったかは、はっきりしていないが、明治・大正頃だと言われる。初の銭湯は1591年伊勢与一が始めた。「帝釈天で産湯を使い」で有名な産湯も、実は日本独自の物。かつては、生まれた時とは別に、生後3日目に氏神の土地の水で行っていた。

フィンランドにおけるサウナの存在は、日本の風呂と似ている。サウナも禊の場として、言葉通り生まれてから死ぬまで使用される。なんと悪魔祓いも行われる!

青森津軽には〈雁風呂〉というものがある。雁は海を渡る際、波間で休む為の枝を咥えるという。生きて渡ることのできなかった雁たちが浜に残した枝を集めて、風呂を焚き供養をする。落語にもなっているが、どうも元ネタは別の土地の話らしい。

描いたのは、〈道後温泉〉をモデルのひとつにしたと言われる『千と千尋の神隠し』の油屋。〈道後温泉〉本館や、大竹伸朗の直島の〈I ♥湯〉の看板娘・ラブ美もくっつけてみた。橋の上には、「ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ」と、『坊っちゃん』に言わせた夏目漱石と正岡子規。ちなみに句の方は子規の『十年の汗を道後の湯に洗へ』の本歌取り。絵に戻ると、千尋にカオナシ。えらくデカくなってしまったのは、ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』。建物の左に少彦名命。てっぺんに白鷺を頂くのは刻太鼓を打つ〈振鷺閣〉。その両脇には、向かって右が、愛媛を舞台として描かれた絵本『かなしきデブ猫ちゃん』の主人公マル。最近、地元の学校給食の牛乳パックにも登場した。作品の中では、坊っちゃんやマドンナ、しろくまピースらと、〈道後温泉〉に浸かった。そして左にいるのが大トリ、妖怪垢嘗。風呂の垢を舐めにくる、ザンギリ頭に赤ら顔、長い舌、鉤爪という姿だ。

百年の汗を道後の湯に洗え風来松