266. うつろ舟

1803年。常陸国鹿島郡はやらどりの浜に、虚舟(うつろぶね)が漂着。長さ三間(5.5m)程で船底は鉄板、ガラス障子、形は香盆のように丸く、至る所に読めない文字が書かれていた...。中には、水と食料と共に18〜20歳程の美しい女性が! 肌は白く、眉・髪は赤褐色。手に二尺(60cm)四方の箱を持ち、決して離そうとせず、言葉は通じない。漁師たちは恐ろしくなって、(もしくは長崎へ送ると費用がかかる為)再び海へ流してしまった...。

虚舟空舟空穂舟(うつぼぶね)かがみの舟箱舟...。これらの記述は十四の文書に残る。1681年尾張熱田、1711年伊予日振島、1796年加賀宮腰、1833神戸...。長崎対馬では、うつろ舟で流れ着いた朝鮮の貴人を殺害してしまった為、祟りで村が滅んだという。また、『風姿花伝』にも、秦河勝がうつろ舟に乗り坂越に至ったとある。

折口信夫はうつろ舟は他界より来たが、この世の姿になるまで入る「いれもの」と考えた。また、柳田國男も、うつろ舟を「魂の入れ物」=「神の乗り物」であり、常世より本土へ渡る潜水艦のようなものでは...と考えた。

元々、うつろ舟の言葉自体は、木をくり抜いて作った舟として『平家物語』にも載る。また、泉佐野の藤田家に伝わっていた実物のうつろ舟は、呉海軍潜水学校へ寄贈されたのだが、戦争で行方知れずとなった...。

実は1775年、アメリカの発明化デビット・ダッシュネルが世界初の潜水艦〈タートル〉を発明。(絵の上に描いたものがそれ)ワシントンが資金援助し、ベンジャミン・フランクリンも協力して完成した! 人力駆動、世界初のスクリュー、6つのガラス窓が付いていた。これが、日本に流れ着いたなんてことも、無きにしもあらず...。

『水戸文書』では、うつろ舟と、養蚕誕生にまつわる金色姫の関連が見られる...。これもまた、次回に譲る...。

突き刺さる春の渚に異物一つ風来松